偏屈と頑固

国際社会の一員とは?
民主党小沢代表が辞意を表明した。政党は政権を握り、政策を実現しなければ、政治ではない。この国は長い間、政権交替のない政党政治が続いていた。
先の参議院選挙が示した民意は、政権交替可能な二大政党時代の幕開け。二院制度を試す時代。民主主義を成熟させる時代。政党政治の始まりだと思う。
最近、日本人は軟弱になったと云われます。頑なさ、偏屈さ、頑固さが無くなったと。理由は二つあると思う、一つは、情報の高度化。誰もが同じ情報を共有するので、考えに差が出にくくなって頑なになる必要がない。もう一つは、拝金や利己に価値を見出し、他人や未来と云った非現実的価値に頑固さや偏屈さを持たなくなった。主義主張が無くなることは弱くなること。寂しいことです。
テロ特措法の期限が切れた。有限立法だから、切れるのは当たり前。成立から6年余。いまさら、国際社会から信頼を失ったと、云われても。平生往生だ。政権に胡座をかき、おざなり貢献でお茶を濁してきたツケは重い。早晩、関心を持たなかった、我々にもツケが回ると思う。
福田、小沢会談は、大連立に目が行きやすい。が、二人は、この国の行く末。国際社会の一員である「日本」が如何にあるべきかを、真摯に話し合ったと思う。政治は権力闘争だから、魑魅魍魎の世界。権謀が渦巻き、思惑が交差するのは、それは仕方がない。でも本質を見失わないようにしたい。
現代の政治指導者に、国を憂う、「憂国の士」は一人もいないような、マスコミ論調は頂けない。福田首相には、影の外務大臣と云われた程、外交には福田流の偏屈さがある。小沢党首には政治歴からも、国際貢献に対する国連中心主義の頑固な信念がある。民意が表面化させた二人の「憂国の姿」だ。
小沢氏が辞意を表明し、福田氏は?次ぎはどうなるのか?ねじれ国会、三年は変らない。民意は動かない。この現実を踏まえ。久々に、偏屈と頑固のぶつかり合いに、ワクワクする。市井の一人として、第二幕を楽しみながら、政党政治の狼狽ぶりを眺めるのも一考か。
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