祖国とは国語。
ユダヤ人は流浪の民と云われる。その所以は、紀元72年国が滅び、1948年イスラエルが建国されるまで世界各地を彷徨ったからである。二千年もの間、祖国を持たないユダヤ人が、何故、ユダヤ人で在り続けたのか。諸説ある。
国語力を試す「国語力検定」なるものがある。主旨は「読書する小中学生」を育てる。国語とは国家の歴史・文化・伝統の中から生れ発展した言語である。との思想に立ち、国語力を身につけることは、教科能力の基本であり、円滑な社会生活を営むに不可欠と位置づけている。
国語力の「力」とは、「読む力」「書く力」「聞く力」「話す力」。これらの「力」を客観的に測るのがこの新しい検定だ。(今年で2回目・全国で開催されている)主催は、民間の機関。
私は本、命だ。活字症候群だ。が、記憶力のいい子供の頃(だったと思うが)、もっと漢字を頭に叩き込んでおけば良かったと反省しきりだ。なぜなら、読書のスピードが遅い。速読術の本を買い、訓練したが、漢字力不足がブレーキ。読みたい本は山ほど。読む時間には限り。読む根気はだんだん衰え。ジレンマに陥っている。
流浪の民、存続の自説。二つある。女系を貫いたこと、ユダヤ女性の子供はユダヤ人と認知した。もう一つが、言語を離さなかった(ヘブライ語の教典を読む)からだ。この検定の主旨が示す通り、言語は、国家の骨格。例え、山河がなくなろうとも、言語の継承がユダヤ国家を存続させたのだ。
国語の乱れは国の乱れ。国語力の強化こそ、この国の可能性を導くものだ。と信じる。子供の国語力を伸ばすのに一役買うことは出来ないか?と思いつつも。いやいや、その前に、私の総合的な国語力の採点を付ける方が先だなー。と、「蜜と乳」の地、カナンに思いを馳せる。
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