萬古焼

流行不易の思想
我社の発行する生活情報誌は、岐阜県8エリア。滋賀県2エリア。愛知県1エリア。三重県3エリア。の14エリア、658、750部発行している。最初は、13年前、岐阜県可児市を中心に発行した「かにさんくらぶ」。この12月で150号を数えた。
「かにさんくらぶ」12月号の表紙は、「ありがとう150」の文字とサンタクロースの袋から飛び出した新キャラクターを紹介。ぴょんぴょん跳ねる野ウサギ、エリアの読者に情報誌の心意気を示している。「150」の数字を眺めながら、「かにさんくらぶ」に係わってくれた仲間達の顔がよぎる。
最新の情報誌は、先月、三重県四日市で発行した「よっかいちai」だ。四日市の市民に「愛」されるようにと、現場のスタッフ達が思いを込めて命名。12月号で二号目。桑名の「ぽろん」、鈴鹿の「ベルブ」と三兄弟で、三重の北部に新風を巻き起こしてくれると、大いに期待している。
その「よっかいちai」の特集は、四日市の陶器、萬古(ばんこ)焼を紹介している。三重県四日市と言えば、工場群が立ち並び、工業生産のメッカ、コンビナート、重工業地帯のイメージが強い。特集記事によると、萬古焼は、1718年桑名の商人が創案した。
その後、1832年、これまた、桑名の商人が再興。さらに、明治の時代に入り、四日市の大地主が水害で貧困に喘ぐ住民に職を与えたいと、萬古焼による地場産業を興し、斬新なデザインが外人に受け、海外へ輸出。四日市萬古は需要を伸ばした。
大正期、陶器と磁器の中間的な半磁器を開発、「大正焼」ともいわれ大量に輸出され、隆盛を極めた。現在は、土鍋のシェアー80%、急須は鉄分の多い土を用い、器の色が紫ががっていることから、紫泥急須とも呼ばれ、使えば使うほどに艶がでると評判とのこと。
萬古焼の印はいつまでも変らぬようにとの思いを込めて「萬古不易」。松尾芭蕉の「流行不易」にヒントを得て付けられたと言われる。「流行」とは新しいものを求め、変化すること。「不易」とはいつまでも変らないこと。(特集記事を参照)
工業都市四日市にこんな素晴らしい陶器の伝統工芸品が存在するのを知らなかった。三重商人たちの「萬古焼」に賭けた斬新な生き方と継続、不変の商い精神を知った。以外と、四日市の市民も知らないのではないか?次号に掲載される市民の声が楽しみだ。「よっかいちai」の存在意義や、「かくあらん」である。
「かにさんくらぶ」の積み重ねが、最新情報誌「よっかいちai」に繋がっている。150号、13年、歴史を刻んでくれた仲間の顔を思い浮かべ、14誌を手に、「萬古焼」が展示される四日市の「ばんこの里会館」を訪ねてみようと思う。
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