盟友

「怪(かい)さ」と「種(たね)さ」
我が愛する岐阜市。
経済不況が、何処かしこに影を落とし、明るい兆しが見えない。
せめて、FC岐阜には、清々しい試合をと願う。
横浜戦は、結婚式参列のため、見落としたが、友人の速報メールで、一喜一憂させてもらった。
結果は敗戦だが、よくやった。新鋭「カン」君に、オウンゴールもどきがあったとか。
それも、彼を成長させるために、神が与えた試練。その話題性がスターの要素。
今日はFC岐阜の話ではない。
岐阜市が生んだ二人の政治家の話です。
一人は、子供の頃から、その豪放な逸話は、限りない。人は彼の怪物振りを称して「怪さ」とよんだ。
行動力抜群。青年期には農業研修で米国留学。県の遺族会を束ね平和活動にも情熱。
県会議員をへて、参院議員。その後、市長選に出馬、惜敗したが
その政策は、先見性に富み、彼の卓越した行動力からすれば、街は一変したであろう。
もう一人は、高校の教師。わけ隔てない公正無垢な性格。生徒には抜群の人気。私も教わった。
先輩からの受け売りだが、保健体育(昔はあった)の授業で「種子」を、
マジで「たねこ」と読んで、それから、彼の渾名が「種さ」となった。
無類の酒好きで、誰の話も「うん、うん」と聞ける大人(たいじん)。関係者のみならず人望は厚かった。
二人の住まいは、目と鼻。同世代。「かいさ」と「たねさ」は、政治家と教育者。盟友だった。
運命のいたずらなのか。その二人が、93年の市長選で激突。
動、変化、改造の「かいさ」か?和、調整、踏襲の「たねさ」か?
結果は、多くの市議に支持された「たねさ」が勝利。
「たねさ」の政治手法は「よきに計らえ」「あとの責任は俺が」との姿勢。
三期目がスタートしたばかりの01年2月。「よきに計らえ」が災いしたのか。
市長選を巡る市役所ぐるみの選挙違反が発覚。
職員が逮捕、有罪判決。「たねさ」は任期途中で辞職した。
その後は、体調を崩され、表舞台には出てこられなかったが、昨年1月80歳で亡くなった。
一方の「かいさ」は、引退後も、その旺盛な行動力は失われなかったが、
6年前、病に倒れ急逝された。
さてさて、死者の話をするのは、辛いのですが、
岐阜市は、このほど、「たねさ」を岐阜市の名誉市民にと、選考委員会に申し出た。
市長選の絡む選挙違反で同義的責任を取って辞職した市長職の功績を認めての申請なのか?
それとも、人気のあった教師としての評価なのか?
名誉市民がいかほどのものかは、一般市民としては、よく分からないが。
「たねさ」と「かいさ」の往年を「少し」だけ、知るものとしては、
であれば、「かいさ」も名誉市民に十二分に値すると思うのですが?
この申請、他に魂胆があれば別ですが?どうも、スッキリしません。
盟友のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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