東海北陸道全通

新聞の役割、使命も様変わりすべきではないかと思います。
嬉しいことに、この地方で発行された、昨日、一昨日の新聞が重い。
開幕まで30数日の北京オリンピックや、明日始まるサミットの話題でページ数が多いからではない。
計画から40年。多くの関係者の努力により、総事業費1兆2200億円をかけた
東海北陸自動車道が、昨日全面開通して、その祝賀記事と広告が掲載されたからです。
新聞の役割の一つに、社会の出来事を記事にする以外に、広告によって告知する手段があります。
冠婚葬祭に火事、災害の見舞いなど、幸、不幸に関係なく、無遠慮、無差別に何でも、紙面化します。
そこが広告屋の広告屋たる所以です。
ですから、道路建設の価値が有無しなど、関係なく、広告の役割を追及します。
ましてや、富山と岐阜、北陸と東海が「高速道路で結ばれるなどと言う、取って置きの話題は、
新聞広告の、十八番です。あれこれ工夫を凝らした紙面が、読者に浴びせられます。
私が師と仰ぎ、尊敬する経営者が富山におられ、折に付け、時に付け、薫陶を受けています。
その方が40年以上前、富山の商工会議所で東海北陸縦貫道の計画を練られた話をお聞きしました。
まだ、お祝いを申し上げていませんが、その方をはじめ多くの、先達の執念やご苦労が実っての
全面開通です。開通による利便性や価値が紙面に踊りますが、「飲水不忘掘井人」。
道路特定財源の一般化が政治の遡上に上がっています。開通に至る経緯を顕彰し、功労者に
感謝する。その総括から、一般化の道程が見えてくる。そんな紙面作りが望まれます。
朝日新聞が「中部代交流時代へ・東海北陸道全通」と題した特集を三回連載で組みました。
観光地の国際化、日本海物流の商機、高速網のへそ拠点、一本の道路からの広がりを
なかなか内容の濃い紙面で紹介しています。
なるほど、と思って読みました。
が、腑に落ちないのは、道路財源の一般化を論じるとき「必要な道路は、作る必要がある」
そんな論調が聞かれますが?なぜ必要なのか?は、殆ど論じられない気がします。
朝日の特集記事は、まさに「そのなぜを、検証しています」が、
それは、全通後です。
私は、道路を作る前に、「必要度」の説明なり、議論が、なぜ、なされないのか?
そこで、可能性や問題点が徹底議論されないのか?腑に落ちないのです。
新聞の記事は後付けでしょうが、
先付けの記事が、新聞の新しい役割や使命じゃないのかと思えるのです。
ひょっと、したら、この一両日の新聞の重さが、腑に落ちない原因ではないかと考えるのは、
新聞広告の衰退に悩む、広告屋だからでしょうか?
                            Goto

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