とても辛い話です。
私の記憶に留めたい。安穏たる生き方を反省したい。そんな思いで書きます。
それは、文芸春秋9月号に掲載された、物理学者戸塚洋二氏の死と向かい合った、
壮絶な闘病の記録を読んでの感想です。
この「あと三か月死への準備日記」と題した氏のブログを読むまでは、ノーベル賞物理学者・小柴昌俊氏が弔辞で「あと一八か月君が長生きしていれば、国民がみんな喜んだでしょう」と述べるほどの科学者であったこと、門外漢とはいえ、まったく、知りませんでした。
このブログは、科学者として、「がん患者の体験談を収集し、がんのデータベースを作るべき」との強い遺志に基づき、7月10日の死去一週間前まで綴られています。
もしも、私がその立場であったなら、ここまで冷静に自分を分析し、赤裸々に語れるかと置き換えますと、とても凡人のなせる業ではない。と感動しました。
取り分け、死と向き合っての整理
1、自分の命が消滅した後も、世界は何事もなく進んで行く
2、自分の存在は時間とともに進む世界で、痕跡もなく消えて行く
3、自分が消滅した後の世界を垣間見ることは絶対に出来ない。
死を見つめ、生とは・・・・・見事なまでの整理です。
恐れに対する対処
1、怖れの考えを避ける。僅かでも恐れが浮かべば、他の考えに強制的に変える。
2、死はすべての人間に来る、その差はたかだか10〜20年。
3、がんになった責任は自分にある。自分以外を決して恨まない。
4、妻に愚痴を言い、精神的に追い詰めてしまう。申し訳ない。
恐怖との戦い・・・・・・・私にはこんな対処ができるだろか。
後に残る人たちへ
悟りということは、如何なる場合も平気で死ぬことかと思っていたのは間違いで、
悟るとは如何なる場面にも平気で生きていることであった。(正岡子規)
との、お嬢さんが伝えた言葉が死の直前に分ったと。
何とも、悲しいですが、すぐに一喜一憂するわが身を振り返り、教わります。
戸塚氏の残した言葉に、自分に死は、遠い先のことなどと安穏と考えず、
今日を如何に、心して生きるべきなのか。今が如何に大切にせねばならない時間なのか。
氏には及ばぬまでも、学ばせて頂きました。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
文芸春秋10月号の発売日に。 Goto
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