春団治

ライブの醍醐味を味わいました?
羽織を脱ぐ様だけ見ても、芸。それはそれは、美しいと。
そんな、中日新聞の解説記事に、暗い時世、味のある笑いを楽しんでみるかと、落語を聴きに足を運んでみました。
地元の放送局主催の「桂春団治一門会」。あの歌に歌われた浪速の豪傑二代目春団治の長男に生まれ、三代目を襲名し、来年で50年。上方落語会の会長にして名人の噺を。
名古屋市内の会場はほぼ満席。中日新聞のお歴々も顔を揃え、三代目の名声がうかがわれる。
昨今の落語ブームも本物か?などと、出囃子を待つ。
そういえば、上方と江戸。落語は東西に分かれ、それぞれ異なる特徴と芸風があると聞くが、どこがどう違うのか?そんなことに興味を抱くと、東西名人に同じ噺を聴いてみれば、面白いかもしれない。
それに、名古屋にも立派な江戸町屋文化の華が咲いたのに、なぜ尾張に落語が育たなかったのか?ふと・・・疑問が湧く。芸は客が育てると言うが、そんな風土がなったのか?それとも、人口が少なかったのか?そんな、こんなを思い巡らしながら・・・・。
で、前座が三本。なかでも、桂梅団治(始めて聴きました)は、とぼけた感じだが、なかなかの実力派。枕での師匠の噺に「三代目の生真面目さが伝わり思わず笑った」
そろりと、真打ち登場。昭和5年生まれというから、79歳。枕もなくいきなり、本番。さらりと下ろす羽織の脱ぐ様。さすがに、粋です。芸ですね。客席からおもわず拍手が。
で、噺が佳境に入り、身を乗り出して、笑いを堪えたところで、突然、幕。「あれ〜」ちょっと、噺がまだ落ちてないじゃないの。途中で終わりじゃぁ。いくら尾張名古屋の一門会だからといって??。
落語通が一言。「これが生(ライブ)の醍醐味よ。噺に、乗れず、満足できなかったっんだね」「あそこで、プツンと切るのが、名人だよ」と。名人でも本当に満足できる高座は、一生に何度もないと自問するそうです。
なるほど。どの世界も同じ、プロの道は厳しいですね。「奥が深いものだ」と、感心しながら。
でも、三代目の左手の中指にキラキラ光る指輪は、なんの意味があるんだろか?
さらりと羽織を脱ぐさまに、キラリと光らせる、それも名人芸の小道具なんだろうか?
それとも、先代の芸域にいまだ、届かぬと、形見に身に付けているのだろうか?
先代譲りの遊び心だろうか?それなら、落語家らしいが。
案内パンフレットに受賞暦を載せる生真面目な春団治名人のご健康をお祈りします。
名古屋弁の落語も聞いてみたいね〜。                                                          Goto
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キラリと光る三代目春団治師匠の指輪。

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