ビジョンと理念が分らない。
これと言いって、話題もない岐阜市ですが、この一月、知事選と市長選のダブル選挙となった。
知事選は任期満了の選挙だが。市長選は、私立大学付属高校誘致の賛否を問う。出直し選挙だ。
結果的には、市長選に対立候補がなく、無投票で現市長が再選された。こんな田舎町。中央の政治でも口を出すと、何かと差しさわりがある。ましてや、市長選挙となると、更にしがらみが複雑に絡み合う。
私としては、市長とも親しい間柄、避けて通りたいのだが、どうしても、腑に落ちない点がある。
岐阜をこよなく愛する立場で、あえて、疑問を投げかけてみたい。
市長は、辞職にあたり、岐阜市を「教育立市」にしたい。それが理解できず私立高校誘致に反対する市議がいる。しかし、大方の市民は誘致に賛成のはずと、出直し選挙で民意を問うと打って出た。
で、私の疑問だが、市長の二期7年間の市政で、何時「教育立市」とビジョンを上げたのか?私には分からない?手元に平成14年に発表された岐阜市の第四次総合計画(四次総)がある。市長一期目につくられたものだ。そこに「教育立市」を目指すとの文字はない。
四次総以降の都市計画マスタープラン全体構想も準備中で、そこにも岐阜市の未来を「教育立市」にするとは何処にも書いてない。むしろ、市民からアイディア募集している状況だ。果たして、辞職までして民意を問う市長の「教育立市」への思いは何時?どこから湧きでたんだろうか?
ちょっと古い話だが、正確さをきすうえで、市長の選挙公約を遡ってみたい。出馬した8年前の政策指針には「生きる能力をはぐくむ教育改革」を掲げているが、項目は4番目。学校の統廃合。徳育の重視。競争原理の導入と当たり障りのない内容で、岐阜市のビジョンとして教育を第一義的に掲げているわけではない。
二期目の選挙で示した政策にも、早期英語教育体験で国際感覚の向上、IT教育、企業家育成など、教育改革の断行で日本一の知恵袋岐阜を目指すとは掲げているが。政策の柱としての順位は三番目、とても岐阜市を「教育立市」に仕立てる構想があったとは思えない。
私の知るところでは、全国で「教育立市」を標ぼうする市は、三市ある。
新潟県の燕市。良寛の慈愛に基づく私塾長善館がベースとなり、平成の合併に合わせ「育成、人を育てる。参画、人を活かす。交流、人が触れ合う。協力、人が助け合う」の四本の柱で「教育立市」を目指している。
青森県の八戸市は、土壌として培われてきた「馬淵川教育」を土台として、教育課題も14項目に亘り整理され。その上に立って、基本構想「夢をはぐくみ、ふれあいの教育」が組み立てられ、基本計画と実施計画をきめ細かく押し進めている。
熊本県の宇土市では市の総合計画そのものが「郷土を愛する心、思いやりの心、豊かな心を持った世界に羽ばたく人を育む」として「教育立市」を目指している。宇土市はそもそも「文教の里」と言われ、熊本県下でも教育に熱心な土地柄だそうだ。
これらの三市は県都でもなく比較的小都市だが、
そこには、教育立市を目指す首長の理念と育まれた土壌の必然性を感じる。
と同時に、そもそも、自治体が掲げる「教育立市」とは、幼児教育。道徳教育。心を育てる生徒指導。開かれた学校づくり。教職員の質の向上。学校保健の充実。
学校設備、社会教育施設の充実。地域家庭の教育。男女共同参画。ボランティア。社会教育と学校教育といった教育課題を根本から議論し、基本構想、基本計画、実行計画を積み上げて、実施するものである。
現市長は二期目。本気で「教育立市」をめざしていたのなら、選挙公約として掲げ市民に訴えるべきであり。それを、市の総合計画に織り込むハズである。私が無知で理解していないのかも知れないが、この7年間、市長の政策や指針にも、「教育立市」の文言はどこにもでてこない。
市長から市の教育課題について、市議会であれ、各種の委員会であれ、市民の集う場所であれ、論じられたことは一度もない。ましてや、市長の口から、先の三市のような教育立市への熱い思いやビジョンが語られたこともない。
にも拘らず、なぜ、私立大学の付属高校誘致の賛否が、岐阜市を「教育立市」にする唯一絶対の選択肢なのか?二期目の任期途中に「教育立市」への基本構想も基本計画も実行計画もなしで、高校誘致のみを争点に、辞職、出直し選挙では、県都の自治体としては無理がある。
私は、誘致に賛成でも反対でもない。が、三月の市議会では、誘致を否定した反対派が多数の状況は変わらない。となると、三月に再びこの問題が再燃することになる。
市長は、なぜ、岐阜市の「教育立市」ビジョンの全体像を示さないのか?
私立大学の付属高校誘致のみを問題にするのか?
それが、私には疑問である。
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