青春の一コマ、一コマが走馬灯のようによぎる。
子供のころ、一番嫌な宿題は、作文でした。
それも、読書感想文を書いて来い。って言うのが一番苦手でした。
ブログで、村上春樹氏のイスラエル・「エルサレム文学賞」の授賞式でのスピーチ。若干疑問を持ちましたので、作品を読んで論評したいと書きましたら、若き仲間から「ノルウェイの森」を頂きました。
ありがとうございます。
朝の読書タイムを利用して読ませてもらいました。
で、頂いた手前、読書感想文が必要なので、とりあえず。
氏と私は同じ1948年生まれ。同じ年に上京。同じ時代の東京で、同じ空気を吸って過ごしたことになります。文字通り主人公の「ワタナベ君」に私を置き換えることができます。
どの場面も私の学生時代とは一致しませんが、しかし、どの場面にも私自身の学生生活が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。そんな不思議を味わいました。それが同じ空気を吸ってた証何でしょうか。
ワタナベ君はノンポリ。私はセクト主義。彼はオタク。私は行動派。彼は読書家、音楽愛好家。
私は・・・・・ただの音痴。随分違いますが。
息が詰まるような友情。心が張り裂けるような恋。そして死に直面、困惑する彼。
モヤモヤとした朧月のような青春。私の青春時代、そんなに周りを突き詰めたことはなかったな〜
「努力もせずに不平ばかり言う。主体的に目的的になされるものを避ける奴ばかり」と寮仲間は言う。
「自分に素直に、欲もなく、感情の赴くままを引きずり出して、正直に生きようとする」彼。
しかし「自分のことを他人に理解してもらいたくない」のではない「理解されたくても、そのすべを知らない自分」にジレンマに陥る彼。私は毎晩のように友と酒を飲み交わし、議論を吹っ掛け理解の押し付けの日々でした。
弱いようで、決して弱くない。投げやりのようで、決してあきらめていない。
そして、我慢も辛抱も青春には付きものだと、妙に分別臭い彼。私にそんな強さはなかった。
そして、精神の病んだ人達の深層に迫りながら、社会の矛盾と退廃を鋭くえぐる。そこがこの小説の神髄かもしれない。読み終わり、私の青春の軽薄さを棒で殴られたような痛みと、同じ時代、同じ場所で同じ空気を吸ってた奴が居た、のが確認できたようで、妙な安堵感を持ちました。
でも、私は、この時代には、戻れないのですが、戻りたいとも思わない、そんな苦味を感じています。
「ノルウェイの森」から、なぜ、村上春樹氏がイスラエルで「壁と卵」のスピーチに至ったかは、解せませんでした。
やっぱり、読書感想文は苦手です。 Goto
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