寛容

人間は弱いから美しい
新年度を迎える準備で、鳩首会議が続いた先週。頭を一つ「ガツン」と殴られた気分です。
迎える準備とは、一年間の事業計画、予算に沿った組織、人事などの体制を決めることです。
この経済環境では、前年踏襲、あるいは前年比で予算が組めない状況です。
しかし、経済論理の渦中にいる以上は、何としても右肩を上げねばなりません。
本来の私の性分では、気合いでエイ!ヤー!と決断するのですが。そんな大まかが許されるような状況ではありません。データを分析し、無い知恵を絞りますが、なかなか結論がでないのが現状です。
長時間に亘る会議でしたが、問題点が見つかり、努力すれば、その解決が可能なところまで、見えてきました。御蔭さまで、新年度を迎える大方の準備は整ったと考えています。
とは、申せ、会議の内容を振り返りますと、仕事とはいえ、「業績のため、収益を上げるため」には許されるのかも知れませんが、随分乱暴で横柄な物言いに、反省仕切り。赤面の極みです。
本来ならば、数字を追うのではなく。こんな時代だからこそ、新年度の心構えとして、何のためにこの仕事をやるのかを論じるとか。目的意識を整理するとか。
人ひとりの特性や能力を磨くための教育に力を入れるにはどうすべきか。と言った本質的な話し合いをすべきなのに。現実に追われ、その余裕やゆとりがないのが残念でならない。
企業は右肩を上げ続けなければならないのだが、その根底には、強くあること、可能性をとことん追い求めることこそ、美学だと言った、高度経済成長以降の価値観が存在しています。
自分でやっていることですから、それが、間違いだとは思いませんが、
「人間は弱いから美しい」と言った美学を忘れてはいけない気がします。
「人生、努力すれば報われるなど、うそなのに、諦めては駄目という。人生そんなもんではない。人間はそれぞれ限界を持っているし、基本は不平等だ」人間の弱さを知ってこそ、他人に寛容になれると思う。と語る脚本家山田太一さんの連続ドラマの筆を置く際の弁には、「この未熟者めが」と、頭を一つ殴られた気分です。
新年度、「殴られた痛み」忘れずに寛容な精神で迎えるようにしたいものです。
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