意地

読売新聞が創刊135年になるそうです。
たぶん、この地方だけかもしれませんが、土曜日の読売新聞スポーツ面には驚きました。(写真)
結構、革新的な私でも驚いたんですから、業界の関係者は腰を抜かしたんじゃないですか?
記事の真ん中に、4段2分の1の広告が、ドカンと掲載されるのですから?
過去の例では、エントツ広告と言って、スポーツ面の端に、縦長の広告を載せるのはありましたが、紙面の中心に、このサイズで・・・・・・。
大胆だと言えば、大胆ですが、広告出稿の落ち込みに、ついに、記事を割いて広告紙面を作る所まで、冒険するようになったかと思うと、新聞経営の深刻さがジワリと伝わります。
今回は、スポーツの面ですから、冒険ができたのでしょうが。この広告にレスポンスが期待できたとなると、他の紙面にも、たとえば政治面の真ん中に、ゼネコンの広告が掲載されるってことになるかも。
そうなれば、記事と広告を鮮明に分けるという、今までの紙面づくりの思想が変わることになります。
必要は発明の母ですから、如何なる試みがなされようと、それは自由でしょうが。
スポーツ面ならば、何をしても良いと考えるなら?「貧して鈍する」です。
読者を甘く見過ぎのような気がしますが。考えすぎでしょうか?
読売新聞は、今年で135周年を迎えるそうです。それを契機に紙面の刷新を図るならば、それはメディアの中核である新聞の役割をより強固にするものとして評価できます。
しかし、昨今のネットの台頭は、新聞を改革、刷新するにしても、
中途半端では、低落傾向に歯止めを掛けることはできないと思います。
私は広告屋です。広告を扱う立場から、なぜ、新聞広告に効果が表れなくなったのか?
その原因が、巷間言われる活字離れだとか。購読部数の減少だとかではない気がしています。
むしろ、日本人の生活様式が変わったことに起因していると考えるべきではないでしょうか。生活様式とは、文化です。昨今の携帯電話の普及、パソコンの浸透は、日本人の情報収集手段を根本から変えました。勿論、テレビもワイドショーや報道番組などが増え新聞の必要性を薄めています。
IT社会は日本に新しい文化を齎したと考えるべきだと思っています。
その新しい文化は、少なくとも新聞を飲み込もうとしている気がします。
新聞とは一体何であるのか?果たして新聞は社会の公器たり得ているのか?
今までのように、中立とか正義の旗を振りかざしていれば通用するのか?
135年続いている読売新聞は、果たして日本人の生活様式に合致しているのかどうか?
日本の文化足りえるのか。いい機会です。新聞人には、大いに議論してもらいたいものです。
少なくとも、記事を読むついでに、広告を読ませようと考えるのは、最早、時代遅れではないか?
新聞広告には少なくとも記事に匹敵する広告の役割、使命があるハズです。
135周年の読売新聞スポーツ面の中心に、デンと構える広告を見て、時代の変遷を感じながら、
チョッピリですが。広告屋の意地みたいなものが、湧いてます。
                                         Goto
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3/21読売新聞

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