あだ花

働くことの価値を問い直す
新聞を読むのは良いことばかりとは限らない。例えば、文化欄の作者インタビュー。
作者の生き様を紹介するつもりでしょうが。文脈で新著の背景や意図、ストーリーが解る場合がある。
そうなると、買って読んでみようと言う気になれない。
私の尊敬する出版社の社長「出版不況は、雑誌が売れなくなったのであって、それ以外は売れてるんです」と分析されていますが・・・・。
毎日新聞文化欄。北方謙三さんが新著の紹介を兼ねて生き様を語っている。
自らの原点を祖父母に求め、長編小説「望郷の道」(幻冬舎)を刊行したと。
北方さんの作品。初期のハードボイルド物には興味がありませんでしたが、漢(おとこ)のロマンや志を示し、そして死んで行く歴史小説には魅了されています。とくに水滸伝。
彼はその記事で面白いことを二つ述べている。なぜ小説家になったのか。小説のモデルである曾祖父の家業は倒産した。「没落した家系の最後のあだ花は芸術家である」と画家だった叔父は言う。と。
「小説なんて、人間にとってあだ花みたいなもの。それでも小説があって良かったと、思う人生が人にはあるし、それくらいのあだ花でいようと思う」。同世代、田舎のおじさんには胸に「キュ」とくる。
新刊については「生きることや人生の意味が何かを示したつもり。働くこと。労働にこそ生きる意味がある。曾祖父の話を聞くうちに、労働することの尊さをきちんと書こうと決めた」
働くことの価値を問い直す。企業戦士あがりの働き蜂としては、このフレーズも応えられない。
ましてや、今日から連休。こんなに休日が多くて、この国は大丈夫かと、心配するおっさんとしては。
間逆だが。休んで良いものもある。新聞だ。休刊日を増やしてはどうか。無理やり記事を作ると、それが情報過多となって、結果、新刊を買うきを失わせる記事まで掲載することになる。
勿論。私は、あだ花を求めて、これから本屋に・・・・。
北方謙三の世界を楽しむつもりだが。
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