いい加減に結論を出しなさい。まだ、何を議論せよというのですか?
人は死にません。たとえ肉体は朽ち果てても、その人と共に生きた人の心に、何時までも生き続けるからです。その人を思う人の心に生き続けるからです。
先日、兄弟のない私にとって、兄と慕い、公私に亘り薫陶を受けた先輩の七回忌がありました。
ご家族はもとより、親戚、知人多数が、写真を囲み、遺徳を偲びました。
参列者がそれぞれの立場から、次々に思い出を語りました。その一つ一つのエピソードと、参列者が抱く彼への思いとが重なり合い、まるで、そこに居るような錯覚に駆られました。
人は死なないのです。その人を思う人の心に生き続けていると、本当に思いました。
彼は、若くして肝臓を患い、病魔と闘いながらも、そのおおらかな人柄で、実に多くの人に頼られ、愛された生き方をしてきました。私も彼を頼った一人です。
病魔は、彼の肝臓にがんを発生させ、肝硬変へと蝕んで行きました。そんな折、彼に光明を与えたのは、医学の進歩。生体肝移植でした。11年前。縁あって、ソウルで移植を受けました。
それから、4年間。子供達の結婚を見届け、孫とも対面でき、充実した仕事をこなしました。が、残念ながら、癌が転移。享年58歳の生涯を遂げました。
12年前の「臓器移植法」制定の折にも、脳死判定を巡る激論があり国会が紛糾したと記憶しています。しかし、「臓器移植法」のお陰で、臓器移植そのものが認知されるようになりました。
彼は、国内ではドナーが見つからず、海外での移植になりましたが、移植法のお蔭で、四年間の命が授かりました。苦しみが和らぎ、一生懸命生きることができたのは、この法律のお陰だと思っています。
衆院で「臓器移植法の改正案」が通過しました。これから、参院で審議されるとのことですが。
この問題の要点は一つです。子供のドナーを認めるかどうかです。
それにも拘らず、12年前と同じ、脳死を死と考えるかどうかの議論が尽くされていない。と
話を振り出しに戻すような、メディアの論調が気になります。
そもそも、倫理観から臓器移植に反対の人と医学の進歩を信じる人が、死生観をいくら議論をしても仕方がないのです。だから、政党も党議拘束を外して、採決に臨んだのです。
しかし、この問題は、病に苦しむ子供がいる以上、どこかで結論を出さなければならない話です。
なぜなら、海外ではドナーの年齢制限などないからです。移植を規制することはできないのです。
外国の子供がドナーなら良いのですか?
何時までも放置しておいてはいけないと思います。ましてや、議論が不十分などと、為にする逃げ口上は許されません。国会議員の死生観に判断を委ねる、この選択方法は賢明な策だと思います。
人は死なないのです。残された者の心に、永遠に生き続けるのです。
この改正案に、先輩なら、何と答えるのでしょうか・・・・・・。私はドナーカードを持っていますが。
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