国民審査

投票に行く楽しみが、一つ増えました。
このところ、衆院選がらみのブログが多くなったが。少なくとも。福田内閣の時から、民意も問わず、首相をコロコロ変えるな。早期解散をと訴えてきたのだから・・仕方がない。今日はぜひ投票日に。
なるほどと、「納得」することが少ないご時世だが。でも、27日付の読売新聞に掲載された{最高裁裁判官に対する「国民審査権」を行使しよう}の意見広告(写真参照)には、思わず「頷いて」しまった。
国民審査とは、内閣が任命した最高裁裁判所裁判官を国民が国民投票によって審査する制度で、衆院選挙と同時に行われる。市井のおっさんに、裁判官の適・不適を選別せよと言われても、判断できない。のが実態だが、これは、投票行為の補完になった。
この意見広告、住む地域によって「一票の格差」があるのは差別ではないか。それが容認されるようでは議会制民主主義の根幹が揺らぐ。過去の「1票の格差」に関する最高裁の判決で、「容認」の立場を取った判事2名に「×」を付け、罷免させるべきだとの「一人一票国民会議」の呼びか。納得できる。
1票の格差。戦後何度も議論されている。だれが考えても、平等でなければおかしい。なぜ、それが、是正されなかったのか?理由は簡単で、自民党政権の延命のためだ。
うがった見方だが、戦後は自由主義体制を守るには、反自民の多い都市部の議員を増やさないようにした。保守基盤を上手く利用するには、地方に配分を多くするのが良い。その典型が、保守王国であり続けた岐阜県など。
その手立てが、議員の割り振り方法。「一人別枠方式」とよばれる47都道府県にあらかじめ一人づつ割り振って、残りを人口に比例して割り振る。それが、格差拡大の要因。
また、巷間批判の的になった世襲問題も、結局は、1票の格差によって有力議員の地盤が固定化し、世襲が進んだ結果である。(違憲判決を主張してきた福田博元最高裁判事)
ことほど、左様に、長期政権の弊害は、国民が知らないうちに、自分たちの都合のよいように、仕組み屋システムを変えている。因みに、私は岐阜市に住んでいるが、衆院では高知3区を1、0とすると0,66。参院は島根を1,0とすると、0,58になる。
私の1票は、高知や、島根の60%の価値しかないことになる。おかしいよね。
この際だから、一人一票国民会議の意見に賛意を示す意味で、内閣が任命した判事のうち、二人の「1票の格差容認派」の判事には「×」を付けたいと思う。
これで、投票に行く楽しみが、倍増した。                Goto

コメント

  1. Goto より:

    訂正です。
    国民審査、発表がありました。
    一票の格差を合憲とした「湧井裁判官」が罷免率トップ、もう一人合憲とした「那須裁判官」が2位だったそうです。
    ただ、罷免率が7%前後で、この制度そのものが浸透していませんね。
    マスコミに頑張ってもらうしかありませんが。民主主義とは時間の掛かるものですね。    Goto

  2. Goto より:

    コメントありがとうございます。
    選挙が終わって、二日経ちましたが、国民審査の結果、まだ、発表が無いようですね。実施する側も関心が無いのでしょうか?これこそ、システムの形骸化、空洞化ですね。        Goto

  3. たんぽぽ より:

    わたくしも、朝日新聞を見て驚きました。今まで一度も×をつけたことがありませんでした。あの「一人一票国民会議」の広告は、強烈でした。記事に書けないことを、みんなで、世直しする。×二人はどうなるか?中日新聞の出口調査に協力しました。開票よりも早く当確が出るシステムよくわかりました。