レッテル

政権交代を冷静な視点で・・・・・・・。
メディアはなぜ、レッテルを貼りたがるのだろうか?物事を分かりやすくするのに便利だからだろうか?それとも、本質を表現するのに手っ取り早いからなのだろうか?
民主党のマニフェスト。5兆円の子供手当てを「バラマキ」とレッテルを貼る。しかし、少子化の解消に、社会共通の理念として、子育てに資源を使うのが、なぜバラマキレッテルになるのだろうか?
高校授業料の無料化も農家への所得補償も、高速道路の無料かも、官僚の天下り先を通さず、直接国民の懐へ支給する発想が、どうしてバラマキなのか?今までの仕組みに問題があったハズ。私はとても健全な税の使い方だと思う。
財源の裏づけのないバラマキだとの批判もおかしい。これらの政策に必要な財源17兆円を官僚会計の無駄からすべて調達すると、言ってるんだから、可能かどうか「チェック」すれば良いのであって「レッテル」貼りは頂けない。
レッテルで、もう一つ。小沢一郎バッシングの「レッテル」貼り。小沢チルドレンが大量に当選。数の力を背景に、16年前の細川内閣と同じように、二重の権力構造を作って、政権を牛耳るというレッテル。
その象徴が、16日に特別国会。首班指名を行い、鳩山首相が誕生。組閣が行われる。その際、内閣に小沢人脈が大量に送り込まれる。との「権力の亡者小沢」のレッテルが貼られている。
私は、彼が同じ過ちを繰り返すとは思えない。彼は自民党を飛び出した時から、政権交代可能な二大政党時代を築く。官僚支配の政治を改める。その二点をブレづに推し進めていると信じている。
政権交代可能な体制は出来た。が、まだ、国民の側が成熟していない。民主の勝ちすぎを調整する能力が国民の側にない。官僚支配打破は、10年度予算の要求内容である概算要求を指し止めたのは、そのスタートだ。
本質を現すことや、信念を貫くことが「レッテル」を貼りならば問題はないのだが、まだ、政権が発足してもいないこの時期に、過去の例を引き合いにレッテルを貼るのは、あまりにも虚しい。
選挙開票時、民主党の選挙対策責任者として、インタビューに応じた彼。この大勝利をどう分析するか?との質問に、「あなた達(メディア)の調査結果に答える必要はない」「票が全部開いてから、コメントする」と、メディアにおもねることをしない彼の姿勢こそ、評価のレッテルを貼るべきだと思うが。
岐阜のような、小さな街でも、正論を吐くと、すぐに「あいつは00だ。」なんてレッテルを貼る輩がいる。
そんな連中に限って、我田引水の人が多いのは、なぜだろうと・・・・・・。
                                     Goto

コメント

  1. Goto より:

    一昨日の日経、スポーツ欄に、元西鉄ライオンズ豊田氏が、子供野球教室で、褒めて育てる必要性を訴えています。なるほどと思って読みました。私も日本人のレッテル好きは、島国根性に起因していると思います。狭い日本に住みあきた。正直、そんな思いです。        Goto

  2. 向日葵 より:

    不名誉なレッテル。卑怯者のレッテル。悪い方向にレッテルを貼るのですね。世の中もっと素晴らしい、素敵なラベルを貼る努力をいたしましょう。フランス人と日本人の違いは、表現の差と言われています。素朴で、普通のワインを飲んで、日本人は、「物足りないなー渋みに重さが足りない」などと批判をしてしまいますが、フランス人は、「ひなげしのようなワインだね。」と言います。島国なのだからでしょうか?

  3. たんぽぽ より:

    GOTO様の意見本当にその通りだと思います。小沢さんが「正論」をぶれずに押し通して来たからこそ今の民主党があると思っています。私たちは、癖のように常套句のように、本音と建て前とか、理想と現実は、違うとか言って逃げようとしているのではないのでしょうか?小沢さんには、寡黙に余分なことを申さずに実現していく明治人のような気骨を垣間見ます。マスコミは、しゃべらないとまたおかしいなどといい加減なでたらめな推測をして、世の中をおかしくしているようにも見えます。「正論」は、吐いてはいけません。もっと「正論」を申し述べようではありませんか。