ことによき里

「なぜ」についてにの若干の考察・・・・
どこで、どうなったのか?誰もが記憶にあることの一つに、「子供は、分らないことがあると、無邪気に、なぜ、なぜ、なぜ」と何でも、何度も、なぜと聞くものです。それが・・・大人になると・・さっぱり聞かない
我が家の珍客1歳5ヶ月になろうとする「孫娘」。彼女が、本を読み聞かせる内に、「これは?これは?」を「こでは?こでは?」と「れ」の発言ができず、指としどろもどろの言葉で問うていたが。
このところ、「なに?なに?」と質問するようになった。もう半年もすると物事に「なんで?なんで?」と「なぜ」を繰り返し、大人を質問責めにするのではないかと思う。
その芽を摘ままないように、大人になっても、「なぜ」と聞ける素直な人間に育って欲しいと願う。
我社の三重県松阪市で発行する生活情報誌「ふぁみんぐ」(55050部)がこの10月号で、創刊一周年を迎えることができました。関係各位に心より感謝いたします。
その巻頭特集(写真参照)は、故郷・松坂(松坂から松阪に表記が変わったのは明治22年)を「ことによき里」とこよなく愛した偉人「本居宣長」記念館の紹介です。
記事は、編集部の力作。ぜひ、参照写真で一読頂ければ幸いです。記事によりますと、宣長は「19歳でバーチャルな街を作りあげる才があり、それを母親が認め、商人の道をあきらめ医者に」したそうです。
記念館の館長は「宣長は一生を賭けて古事記や源氏物語を研究したが、その源泉は、日々の生活の中で疑問を感じたこと、{なぜ}を解明せざるにはいられない生き方にあった」からではと。
私のような凡人。どこでどうなったのか?子供の頃は、たぶんですが。「なに?なぜ、なぜ?」と孫娘のように質問を連発していたと、思うのですが?
今では、どこかで「なぜ」を捨ててしまったらしい。たぶん、そのどこかは、「恥ずかしい」とか「面子(めんつ)」とか。嫌な大人が身にまとう鎧(よろい)のせいかもしれない。たぶん、それだ。
同号には、資料館の案内の他に、市民の「なぜ」を摘ままないで、一緒に考えたいと語る。
30代の若きリーダー、山中光茂市長のインタビューも掲載されています。
我社の生活情報誌のコンセプトは「地域密着」と、そして、「ことによき里」を読者の「なぜ」に応えながら作ることです。今後とも「ふぁみんぐ」宜しくお願い致します。一周年に感謝して。
                                            Goto

コメント

  1. Goto より:

    そうですね。悟れないですね。しかし、人間にとっての100%は死。死ねば無我の境地。悟りの世界に入れるそうです。可能性を秘めた政治家の死を悼み、冥福を祈ります。                       Goto

  2. たんぽぽ より:

    おはようございます。雨ですが、すがすがしい国学者の本居先生の「ふぁみんぐ」へ旅してきました。素晴らしい取材記者の方は現地の方なのですか?人間「なぜ?」から始まり、「なぜ?」で終わる。悟りは開けません。