晋山式

弱者の立場に立つ・・・それがジャーナリズムだ。
5月1日は、メーデー。国際的な労働者の祭典です。と同時に、我社の創立記念日でもあります。
メーデーの起源は米国で労働時間の短縮(8時間労働)を求め、工場労働者がゼネストとデモを行ったのが発端です。
語源はフランス語の「助けに来て欲しい」の意味で、「m’aider」です。
我社を立ち上げた先代は、復員後、昭和27年5月1日、いわゆる血のメーデーに参加したと、聞いています。
その後、岐阜に戻り地元紙の記者となりました。私は子供心に我家(集合住宅)に先代の友人達が集い「トッキュウ」だの「ミヤケン」だのと、口角泡を飛ばして議論していたのを薄っすらと記憶しています。
紆余曲折ありましたが、昭和43年、地元紙の役員を解任され、浪々の身となりました。昭和47年、岐阜市粟野・金栗山大龍寺の境内をお借りして・・・ゴルフの練習場を始めました。その折に月刊・新聞「ゴルフジャーナル」を発行・・・。
学生運動で挫折、失意の内、帰郷した私も、そのゴルフ場で球拾いをしながら、編集から広告取り、印刷から配送・・・発行人と編集長そして、私の三人だけで発行する新聞、勉強になりました。
先代は、業界紙であっても、常に権力者に対して、厳しい目、批判の目を持たなければならない。弱者の立場に立つ、それがジャーナリズムだと、折に触れ、時に触れ語ってくれました。第一次ゴルフブームの頃でした。結構、スクープ記事が話題になったものです。
練習場は昭和58年閉鎖しましたが、その間、私は結婚し3人の子供にも恵まれました。大龍寺は浪々の身であった先代と私を「救ってくれた」ました。お寺はジャーナリズムではないかと思っています。
大龍寺は今日ある私の原点だと思っています。
その大龍寺で、昨日「晋山式」が行われました。晋山式とは、お寺に新しい住職を迎える式です。研山老師が引退、ご子息の宗峰師が入山されたわけです。私も檀家としてお祝いに参列させていただきました。
あのころの遊び盛りの坊やが、立派な僧侶になられたのを頼もしく拝顔・・・。私たち父子が研山師に救って頂いたように、新住職が、多くの人達に施しを与えてくれればと願っております。
昨日は、大龍寺の晋山式。働く者の祭典メーデーの日。そして我社の33回目の創立記念日。おめでたいことが重なりました。これは、先代の導きではないかと感謝しています。
それにしても、「連合」主催のメーデー。5月1日に祭典をやらないのは情けない・・・・・。政権を取ったのだから、もう少し、自信を持って労働者のために・・ガンバッて欲しいと思うのだが。                                                                Goto
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金粟山大龍寺第二十三世宗峰和尚晋山式

コメント

  1. Goto より:

    コメントありがとうございます。
    ゴルフの練習場で過ごした割には、ゴルフが下手です。お寺の境内をお借りしていたのに、経も読めません。先達に恵まれたにも拘らず未熟なままです。変わらぬご指導お願いします。
                   Goto

  2. ニッコリさん より:

    いつもお世話になっております。
    人生の紆余曲折、大変参考になりました。
    ありがとうございました。