不期明日

生涯修行のスタートです。
千日ブログ満行に一抹の物足りなさを覚え・・・過去の拙文を読み直していて・・・あれ?回数にはカウントされているが・・掲載されていないブログが二つ見つかった。とい言うことは、満行にまだ二日足らないと言うことになる。
そう言えば・・・千日回峰行の教えに・・回峰行は千日やるモノではない。1000日弱でよい。わずかでも日数を残すべき・・・残した修行を死ぬまでかけてやり通せばよい。人生は「生涯修行」だとの教えである。最も過酷な「堂入り」(不眠・不臥・断食・断水)の行は9日間である。なぜ・・10日間ではなく9日なのか。残りの人生で足らない分を修行せよとの意だそうだ。
だとすると・・・・まったくの偶然なんだが・・・私のブログ連続修行で残った2日間は・・・ただの二日ではない。未熟者のお前には一生修行が必要・・との戒めの二日間であると理解した。連続とか。必ずとか・・片意地張ったり、無理矢理強要したりするのではなく・・「生涯修行」を続ろとの教えであろう。
ありがたいことだ。
1001回目のブログを書く。
ここに一冊の本がある。その表題は「不期明日」。6月30日90歳でお亡くなりになった博報堂中興の祖「近藤道生」氏の「私の履歴書」(日経新聞)を単行本にしたものである。
この本は・・・勿論、氏の履歴書であるが・・。海軍短期現役士官としてペナン島で抑留、47年に復員した戦争体験を持つ氏の「命の貴さ・反戦」への叫びの書である。
戦場にあった若き日・・明日など期することができない死と隣り合わせの毎日。いや戦死することは自明であり、問題はそれがいつかというだけだった。
禅の教えに「懈怠比丘不期明日」がある・・・意味は「私は怠け者の僧侶だから明日は来られるかどうか分からないよ」・・・凡人は今日できることを「明日やればいい」とか「明日があるかななんとかなるさ」と思いがちだが・・・・
明日が確実に来るとは限らない。明日になればできるとも限らない。明日を期せず今日を大切に生きて行こうとの教えである。
明日を夢見ることは大切なことである。我社も中期3ヵ年計画を発表する。しかし・・計画が実現できるかどうかは・・・今日を限りに生き抜くことからしか始まらない。
「不期明日」(ミョウニチヲキセズ)を心に刻み・・・「生涯修行」の積りで・・満行に不足の二日間の今日を過ごしたい。                                   Goto

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