独裁

メディア亡国論について真剣に考える時ではないでしょうか?
独裁批判を逆手にとり、大衆の心を掴んで、日本の閉塞状況を変えようと、呼びかけた橋下さん。当確がでてから、3時間半。記者の質問にすべて答えたそうです。メディアに対して、そんな丁寧な受け答えをするリーダーを独裁っていうんですかねぇ。
それにしても、橋下都構想が分からないっていう批判が多いですね。記者って・・・質問しながら、何を聞いているんでしょうかねぇ?凝り固まった自分の考えや思い込みと違うと、分からないって書くんでしょうねぇ。それとも、そもそも新聞社の方針が、決め付け何でしょうか。
そんな、思いで、ここ2・3日の橋下報道を見てましたら、なるほど、新聞社の社論は、独善、独裁、決め付けなのだと・・よく分かりました。いや、呆れましたので・・・・。
朝日新聞11月28日付・朝刊。他紙の最高責任者を掲載するのは珍しいのですが。
「最後の独裁者」「メディア界のドン」「政界フィクサー」。人々は畏怖の念(いふ)を込めてこう呼ぶ。読売新聞グループ本社会長・主筆「渡辺恒雄氏(85)が2時間半にわたり熱く語った・とオピニオン欄で大特集。帳場を合わすともうしますが、朝日と読売の出来レースです。
朝日の読者が、この特集をどのように読んだかは分かりませんが、私は、恐ろしくなりました。
思いと違う社論(社説)が決まることはありますか?との問いに「ふむ、それはあんまりないよ」と、読売は、このご老人の考えに反する社論は書かないってことです。
政界との距離があまりにも近くないですか?「読売の社論を実行できる内閣になるなら、悪いことではない。そういう内閣に知恵を授けて具現化するのは僕には正義だし、合理的なことだ」と。恐ろしいですね。このご老人の考えで、1000万部の新聞の主張が決まるのですから。
民意がどうなのか・・・なんて、まったく関係ない。俺が決め、考えたことは絶対だ。だから、俺の言うことを聞け。聞かなければ、批判の記事を書くぞ。と恫喝で、政治にも関与すると宣言しているようなもの。これを、独裁と言わずしてです。
朝日新聞は、このご老人を「人々は畏怖の念を込めてそう呼ぶ」と、紹介しました。畏怖の念とは、畏敬の気持ちを持って怖れるってことです。怖れるのは、どうでもよろしいが、畏敬の気持ちを持って、紹介したとなると、やっぱり、朝日の社論も、独善で、決め付けなのだと、断定せねばなりません。
メディア亡国論について、真剣に考える時ではないでしょうか。 Goto

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