西へ逃避させない環境を作るのは大人の役割では?
母は強しと、つくづく感じる。あの娘(長女)が、二人の娘の母となり、上の子(三歳)の手を引き、下の子を抱っこし、着替えの袋を持ち、更にスーパーの袋に晩飯の食材を入れ。そして、飄々と車に乗り、自宅に戻る姿を見て。
私の好きな歌人。俵万智さん。子供に土の庭園でのびのび遊ばせたいと、仙台に移住。大震災に遭遇、原発事故の放射能汚染。子供を被曝させては行けない。「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」と・・・石垣島へ(ここまではチョッとやりすぎだと思うが)
「直ちにって言われても、後から影響でたら。国って信用できない」・・・母親たちの気持ちを代弁する。南の島に定住。スローライフを選択。便利は快適。楽しい。否定するつもりはないが、便利の先になにがあるか?突き詰めたら、それほど幸せでもないかもとも。
便利の象徴が電気ではないのか?私たちはそのしっぺ返しを受けているんじゃないかとも。
子供を守るにためらいはない。子供を育てるに利便を求めて良いのだろうか?と問う。
ユダヤ教の安息日(シャバット)は火を使うことを禁じる。敬虔なユダヤ教徒達は土曜日には料理もしない。電気も付けず、ロウソクの灯りで過ごす。一週間に一日、エネルギーを消費しない生活を強いる。
ロウソクの灯りで、家族が語り合いながら夕食を。文明社会では、異常な光景だが、週に一度のスローライフ。ユダヤ人の母親はそうやって、何千年も子供を育ててきたという。
市井のヤングママが俵さんのように、西へ西へと逃げ、便利さを否定してスローライフを実践するのは難しいだろうが。せめて、今ある地で、安心して子育てのできる環境を保障することと、
週に一度ぐらいは、スローライフに身をおくことは、社会の責任、大人の役割ではないかと、逞しくなった娘の姿に思う。とは申せ娘の頑張りはイクメンの婿殿あってのことですが。Goto
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