今こそ、国体

高齢者の健康維持の起爆剤に。
熱帯夜を更に、暑くするロンドンオリンピックが、いよいよです。国旗を背負い、命を賭け競技に臨む選手の姿は感動モノ。ライブで観戦するのは、たまらない魅了ですね。出場選手にはぜひ、頑張って欲しい。
その、五輪が終れば、いよいよ、岐阜国体です。47都道府県持ち回りです。前回の岐阜国体は第20回大会。1965年(昭和40年)東京五輪の次の年。オリンピックの余韻もあり、県内が、熱気で盛り上りました。
私は岐阜市内男子高校生3000人のマスゲーム要員。開会式当日、総合競技場の外、炎天下で出番を待っていたのが印象に残っています。我家は集合住宅でしたが、同じ町内の民家には、各県の選手がホームステイ。町は国体ムード一色でした。
近年。スポーツ大会が多様化したのか。それともマンネリ化したのか。国体そのものが形骸化したのか。様々な要因があると思いますが。47年前の熱気を知るモノとしては。県民の意識もまだら模様の感がします。私は、「国体なんて」と蔑むメディアの責任が一番重いと思っていますが。
折角の国体。本気で見直せば、それこそ、国民的行事になると思うのですが。もったいない気がします。例えば、県別対抗は止める。そして競技毎にオリンピックのように選考基準を設け、それをクリアしたアスリートの競技にする。入賞者に名誉を与える。
一方では、メジャーではない競技は県対抗で呼びかけたり、従来の競技には年齢別持ち込むなど、複雑になるかもしれないが。開催県に、何十万というスポーツ愛好家が集うようにすれば、それが地域の観光産業と絡み、地方の活性化にも繋がります。
昨今の、ウォーキングブームが象徴するように、ブレイクしてるスポーツがあります。国体はスポーツ発展の場。スポーツの祭典です。国民的行事にして、お祭りにすべきです。高齢社会です。高齢化に抗うのは、スポーツに親しみ。健康な身体を維持することにあります。
国体の正式名称は、国民体育大会です。
戦後、うち続く無謀な戦争で国力が疲弊、国民が痩せ衰え、体力が落ち、見るも無残なあり様になりました。何とかせねばで、国民の体育向上にと始まったのです。
だとすれば、高齢社会に、高齢者がより、健康で、元気に老後を過ごすための、体育向上、それが、国民体育大会であってよいはずです。オリンピックは参加することに意義があると五輪提唱者のクーベルタン伯爵は・・・・・。
日本の国民体育大会も、参加することに意義があると、国民こぞって参加できる大会に模様替えしてはどうでしょうか。これって、文科省、厚労省、国交省にまたがる話。政治の話になると思うのですが。
それにしても、岐阜市の国体への盛り上がり、欠けてますね。市長さん。Goto

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