偏向報道

「愛国主義はごろつきどもの最後の隠れ家だ」
我が社では、全社員が、毎朝、朝日新聞の天声人語の書写に励んでいますが。
別段、朝日でなくても、読売の編集手帳でも、日経の春秋でも、毎日の余録でも、朝刊のコラムならどれでも良いのですが。天声人語にする訳は、消去法です。
編集手帳は、女性が多い我が社では、何かにつけ、浪花節的で加齢臭が漂うおっさんの文章って、感じが強い。だから、抹香臭くてたまらない。日経も良いのですが。経済紙らしさが強すぎて、社会問題に触れる度合いが少ない。毎日は、朝日よりも、自虐的で、何となく、斜に構え過ぎ。批判のための批判の偏向報道を朝っぱらから書写するには疑問。
と、なりますと。社説では消費増税に賛成しながら、論評では反対記事を積極的に取り上げる自己矛盾を隠さない(隠せないのかも)朝日の天声人語が無難って、ことになります。
とは申せ。毎日余録のどこが、偏向なのか。目くじら立てる分けではないが。
偏向の意味も含め17日付余録を例に考えてみたい。
18世紀、英語辞典を独力3年間で偏んだ文学者は、年金の項に「通常英国では祖国裏切る政府の手先への謝金」と記し、自らの年金受け取りを拒んだ。それが愛国者だと規定。その文学者が語る「愛国主義はごろつきどもの最後の隠れ家だ」との名言を持ちい愛国主義者と愛国者は違うと論じて・・・・
8/15に狙いを定め、香港の反日活動家が尖閣諸島上陸の暴挙にでた事件は愛国主義者の仕業。「隠れ家」から騒動を広げようと企んでいると批判。日中間の安定した関係なしにはお互いの繁栄はないことを知る愛国者たちを窮地に追い込むなと結んでいる。
一見・・納得できるのだが。でも、どこかおかしい。微妙な使い分けで、結局は愛国者は善、愛国主義者は悪と決めつけている。この暴挙。中国では国営テレビがトップニュースで報じている。ということは、中国政府公認である。だとすれば、中国政府が愛国主義者ってことになるが。そのことには触れない。
では、日中間の安定した関係なしにお互いの繁栄はないことを知る中国の愛国者は何処にいるのか?少なくとも日本人の大半は、そう望む愛国者である。だとすると、この問題を取り上げた余録の意図は、日本の愛国主義者はごろつきで、この暴挙にあたり隠れ家から這い出してくる。それが問題だと指摘しているのではないか。
私は毎日が親中国派だとは、断定しないが。少なくとも。これほど明らかな中国政府黙認の暴挙に特定の立場からの主張を意図を持って間接的な情報操作を行っていると思えて仕方がない。それを、偏向というのだが・・・・。だから、余録を書写しようとは思わない。Goto

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