二つの社会会館

さらば、三宅坂に、モノの哀れを感じる。
岐阜の歓楽街、柳ヶ瀬の一角に。社会会館と名付けられた、うなぎの寝床のような、幅が狭くて奥行きの長い、4階建ての古ぼけたビルがある。一昔前は両側にビルが建っていたので、繁華街のビルとして、凛としていた気がするが、街の空洞化で両側が空地になると、耐震は大丈夫かと、不安になるほどに弱々しい・・・
この社会会館。一階は喫茶店。二階が日本社会党岐阜県本部。三階が会議室。4階が岐阜市総支部と作業場。私は20代の頃、社会党の書記局員(岐阜総支部担当)として、この会館に通った。火曜と木曜は、機関紙・社会新報の配布。他曜日は、支部と党員の管理。中小企業支援、医療110番や執行委員会の準備。
労働運動・市民運動との連携など、ずいぶん活発な活動を・・非武装中立。反戦平和の旗を掲げ・・・熱く取り組んだものです。会館は、当時の衆院議員山本幸一さん達が資金を出し合って建設。万年野党と揶揄された社会党でしたが。中小企業の協同組合。協業組合が次々に組織され。人も集まり、選挙の時など、緊張感に溢れたビルでした。
時代は変遷し、社会党が社民党と民主党に分裂。この岐阜の会館は、そもそもが、社会党の中央本部がある永田町の社会文化会館に倣って建てられたものだが。その東京の会館は、社民党の本部に変わったが、岐阜は民主党の事務所として使われるようになった。
その社民党だが。先の衆院選で、当選者2名。参院と合わせ6人のミニ政党に。存亡の危機にある。時代を読めなかったのか。そもそもの役割が終わったのか。歴史が証明すると思うのだが。社会党文化会館も老朽化で解体されるそうで、社民党の終焉を予兆する結果となった。
一方の民主党も、そもそもの寄合所帯。惨敗の後遺症から立ち直ることができず。綱領どころか。国会での立位置さえ、定まっていない。政治の組織論からいえば、敗北は原則論と先鋭化が進み、更なる分裂を繰り返すものである。このままでは、民主党も社民党の後を追うことのなろうか?
いや、話があらぬ方向に行ったが。永田町の社会文化会館には通称「三宅坂」と呼ばれていたがその三宅坂が解体されるとなると。岐阜の会館は通称「柳ヶ瀬」。岐阜の民主党の凋落ぶりからして、解体する力もなく。無人の館になってしまうのではないだろうか。
なんとなく、衰退の歯止めがきかぬ繁華街「柳ヶ瀬」とダブリ。モノの哀れを感じる。Goto

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