毀誉褒貶

民主主義って・・・どうなの?
ある方から「お前は毀誉褒貶が激しいからアカン」と批判されたことがあります。その時・・・毀誉褒貶の意味を・・・ほめたり、けなしたりするからアカンとは理解せず、主義、主張をコロコロ変えるから、アカンのかと思っていました。
なぜなら、私はこの世で一人を除いて他人を批判したり、けなしたりはしませんので・・・
その一人は誰かって。そんな恐ろしいことブログで書けるわけがないじゃないですか。
相手は老獪な田舎の権力者です。袋叩きにあって、まともに仕事もさせてもらえなくなりますし、住めなくなりますよ。「クワバラ、くわばら」
主義、主張ではないんですが。最近、民主主義って、本当に正しいのか?疑問に思うことが多々あります。私の本籍は左翼(もう、ずいぶん、本籍を尋ねることも無くなりましたが)、ですから政治信条として絶対主義や封建主義とは対峙する意味で、民主主義を標榜してきたのですが。
先ごろ、共同体自治の考え方に則り東京の小平市が「道路建設計画」の是非を巡る住民投票を実施しましたが、その成立要件の投票率50%に届かず、35%で不成立。投票結果はお蔵入りとなりました。成立率がおかしいとの議論もありますが、反対投票の意味合いが多い内容については、民主主義の原則に則っているので、問題ないと思います。
ですが、問題は通常選挙の投票率です。朝日のオピニオン欄で、千葉市長は、再選されたが投票率31%ではもの足りぬ。住民にとって短かな地方政治の投票率が余りにも低すぎる。69%が信任票として勝者に与えられることになる。有権者は投票し、意思を示すべきと嘆いています。
それって。正しいでしょうか。私も政治参画の権利として、一票を行使しなければ民主主義の冒涜だ。などと、力んでいた頃もありましたが。人は身勝手なものです。自分に関心があれば、投票にも行くし、デモにも参加しますし、行動を起こします。
しかし、同じ市内といっても、滅多に通りもしない場所の道路計画に賛成も反対もない。そんな住民投票に行かないのは当然でしょう。それでも民主主義は選挙で多数をと力む方がおかしいと言えないでしょうか。首長選挙でもそうです、争点もなく、対立候補者もいなければ、誰も投票に行かないでしょう。
行かないこと、それは信任です。ですから、投票率が低いのを嘆くような首長は、まだまだ子供ですね。田舎の権力者なんて、自らの権力に誰かが手を掛ければ、それはそれは、ありとあらゆる手段を使って多数を形成(それを民主主義だと称し)・・・押しつぶしてしまいますから。
そんな恐ろしい目に何度もあっていますと、民主主義ってどうなのと、主義・主張を変えたくなるのも不思議はないと思うのですが。Goto

コメント