ほどほど

お盆って死者に会えるものですねぇ。
ゲリラ豪雨が北東北地方も襲う。一時間に100ミリを超す雨が降ると、水量の多い滝に打たれるようなモノ、痛くて立っていられないそうです。7月の九州に始まり、8月上旬には山陰、続いて東海地方。そして北東北、北海道南部地方に、まるで日本列島縦断でした。
冗談じゃないと、この天変地異と申しますか、異常気象に腹を立てていましたら・・・
それが一変して、東海地方は先週の終わりから今週に掛けて猛暑、酷暑の40度超え・・・夏らしくて良いといえなくもないのですが・・・物事にはほどほどってモノがあります。
季節感などというモノは、梅雨には梅雨の。雪には雪の。風には風の味があるモノです。極端に振れる気象には味も素っ気もないない。ロマンの無ければ、モノの哀れを感じませんね。
夏が好きな私としては猛暑に避暑地に行こうとは、思いませんが。
不義理が続いた・・義父母の墓参りにでもと思い立ち、墓地のある岐阜県の山間部へ足を運んだ。流石に海抜800mを越しますと、朝夕は肌寒さを感じ、岐阜県も広いと思います。
私は山派でも海派でもありませんが。高地の樹木が、陽光を浴びるこの期を逃してなるものかと手足を思いっきり伸ばして光合成をするのでしょう。木立の中を歩きますと(懲りずに山道をウォーキングして来ました)、凛とした空気はいいものです。妙に頭が冴えます。
毎日新聞の夕刊(私は大好きなんですが、発行エリアがどんどん減っています)に何人かの専門編集委員がコラムを書いています。「牧太郎さんの大きな声では言えないが」に群馬と長野の県境・碓氷峠の山道に数字だけの歌碑があると・・・「八万三千八 三六九三三四七 一八二 四五十三二四六 百四億四百」・・・
碓氷峠の標高が如何程かは知りませんが。この数字「山路は 寒くさみしな 一つ家に 夜ごと見に沁む 百夜置く霜」と読むそうで、頼朝の追ってから逃れる義経、共する弁慶が逃避行の思いを石に刻んだ作だと、軽井沢の観光課。
弁慶は、木立の息づかいで凛とした空気の山中。知られたくない。でも知らせたい。そんなやるせなさ、寂しさで感傷的になって・・頭に巡った思いを数字で詠んだのでしょう。弁慶って無骨者のイメージがありますが、何ともロマン派ですねぇ。そんなことを思いながら、山中に立つ義父母の墓に、不義理を詫びつつ、ほどほどに頑張ってますと合掌しました。Goto

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