岐阜県の観光客数は一年間で3619万人ですって。人口の18倍です。凄いデスねぇ。
さて、東京五輪でどのくらいの人が日本を訪れるのでしょうか。試算では100万人とも50万人とも言われますが。昨年、一年間で日本を訪れた外国人は780万人とか。フランスが2000万人だそうですから、その半分の1000万人はと、観光庁は目論んでいるようです。
昨今、観光を産業と位置づけ全国各地で様々な啓蒙活動や開発、取組が行われています。日本の自然や文化、習慣、風俗、風習、日本食といった民族の歴史が観光資源として見直されていますが、そもそも観光とは何かについて、もう少し掘り下げる必要があるのではと思います。
例えば、岐阜県。12年度を対象とした統計調査で、県内の観光客数は3619万3000人であったと発表されました。調査方法は一昨年から観光庁が定めた全国共通の基準に合わせて実施、各観光地の客数などをまとめたそうです。
であれば、それなりの信憑性はあるのでしょうが。常識的には、その地を何んらかの目的、理由で訪れた地域外の人を観光客というのではと思うのですが。昨今は郊外型の商業集積地に訪れる人も立派な観光客だそうですが、大半が地元住民。それもカウントされるのですから・・・
観光地として人気の飛騨高山とか妻籠・馬籠とかを訪れる人や養老の滝でしぶきを浴びる人や乗鞍、穂高など山登りを愉しむ人は観光客だといえるのですが・・・地元民まで・・・私には観光客の概念がよくわかりません。別段、わからなくても良いのですが・・・
こんなことを思います。東京の銀座が日本人の憧れの地であった頃。全国各地に銀座通りができました。我が岐阜市にもあります。それって、憧れを利用して、観光地にしようという魂胆から生まれたのでないでしょうか。時代が変わり・・・その結果、全国どこの銀座もシャッター通りになってしまいました。
観光を産業にする風潮って。余りにも安易で姑息ではないでしょうか。観光とは光を観ると書きます。その地に、本物のなにかしら光るものがなければ、それは観光地にはなりません。地域の活性化に最も手っ取り早いのが、観光産業なんて、とんでもない思い上がりも甚だしい。
自分自身が観光に行こうと思った時、安易に作り上げられた観光地と称するところに行くでしょうか?私はもう、残り時間がありませんので、俄作りの観光地などには行きません。ましてや、街の郊外にできた商業集積地を観光地とカウントするような時代。本物の観光地しか観光産業は成り立たないと思います。
私的には、その地で生まれ、その地で育まれ、その地の人々の汗と涙と息遣いが聞こえる「地場産業」こそがその地の本物の観光資源ではないかと思うのですが。中小零細企業で職人技を磨いて頑張ろうという若者を増やすことこそ観光資源開発ではと思います。Goto
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