演歌の理念

演説歌の演歌も聞いて見たいです。
先週の日曜・22時ごろだったと思います。読みかけの小説を読んでいて・・・台風19号の進路が気になり、何気にテレビのスイッチを。BS朝日・・あの時代のフォーク歌手が次々と。なごり雪のイルカ。贈る言葉の海援隊。広瀬川のさとう宗幸。小室等に清水国明の司会・・・
何処かの山小屋に同世代とおぼしき男女を集めてのミニライブ形式。青春の蹉跌とは申しませんが。出にくくなった声を上手く絞り出しながら、情感込めて歌う彼らの姿に、甘酸っぱい青春時代の思が蘇る・・・歌は世につれ、世は歌につれと申しますが。懐かしい・・・・
音痴の私。音楽には無頓着なんですが。ふと見たテレビに釘ずけになるんですから。勝手に耳から入ってきた曲には抗うことができず、心や身体の一部と化しているんでしょうね。音楽の力を再認識しました。10/13・朝日朝刊・私の好きなページ。文化の扉の特集は演歌でした。
私には流行歌も艶歌も演歌も、フォークもGSもニューミュージックもアイドルも、JーPOPの区別も違いも理解できませんが。流行歌から「演歌」が別れたのは、五木寛之さんが小説「艶歌」で「艶歌」とは、は特に哀調を帯び、貧しさや不幸を強調した流行歌の塊と定義。庶民の口に出せない怨念悲傷を艶なる詩曲に転じて歌う。そこに日本人のアイデンティティーがあり・・
艶歌を無視した地点に日本人のナショナル・ソングは成立しないと理念化した。その3年後(1969年)五木理念を体現するかのように藤圭子が登場「夢は夜ひらく」がヒット。70年代以降「日本の心を歌う伝統音楽」として「演歌」は定着したと、文化の扉は語る。
随分大層な「演歌」論ですが。なるほど、「演歌」とは我々団塊世代の青春とともに練り上げられたということになります。2000年に登場した氷川きよし以降、演歌界にスターが誕生しないのは、団塊世代の衰退と関係があるのかも知れませんね。
そもそも演歌とは、明治期の自由民権運動下で「演説歌」を「演歌」といって普及したそうですが。音楽の区別がつかぬ私にしてみれば、「艶歌」も良いのですが、大向こう唸らす政治家が現れ、「演説歌」の「演歌」を披露して頂きたいですね。Goto

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