新聞の役割

日本新聞協会加盟各社トップの「新聞存亡に賭ける」シンポジウムを聞いてみたい。
日本新聞協会が開催したシンポジウム「報道とつくる「知」の空間」の特集が毎日新聞12/5・朝刊に掲載された。新聞命(しんぶんいのち)の私としては、興味深く拝読したが、司会者の「日本の新聞はこの10年間で約600万部の部数を減らした」・・・
「地方紙は20万から30万部のところが多い事を考えると、10年間で20以上の県紙、地方紙が消えたことになる」・・・・「あまねく家庭にニュースを届け、一緒になって未来を見つめる新聞の機能はこれからも必要だと信じている。そのために議論を」・・との問い掛けがやけに、白々しいと感じるパネラーの発言であった。
主催した・・・日本新聞協会とは「自由で責任ある新聞を維持・発展させ、新聞倫理の向上を目指す自主組織として1946年の創立。会員は全国の新聞・通信・放送130社で、日本の主要報道機関を網羅している。日本で初めて日刊紙が発行されたのは1871年。全国で約4700万部の日刊紙が発行されてる。
パネラーの発言を要約すると、「紙の文化が始まって2000年以上。知を分配する方法としての紙の文化が衰えようとしている」紙文化への哀愁。「デジタル機器の普及は新聞やテレビの情報では追っつかない状況にある」「情報インフラの価値は低下している。知の変質が起こっており、従来の新聞がいらなくなったのか・・・・
あるいは本質的に変容してしまい、今の知に合わすべきではないか」新聞を変質させるかどうか。などと新聞そのものの使命を問うているのだが。司会者とパネラーの間に共通した危機感がないために、そもそも論と、価値論の擦れ違いに終始した深みのないシンポジウムに終った感がある。
ただ、「新聞は原理主義に徹して欲しい。新聞は記者が集めた情報を上司が吟味して確認し、記事の配置や大きさをどうするかを決める。掲載された記事には誇りと自信を持って欲しい」の励まし。「朝日の誤報は残念だが、各紙の間でのパッシングはさらに残念」
「朝日の減部が他紙に流れたかというと、そうではないと聞いている」「業界内で足を引張ている場合ではない。誤報があっても新聞は必要なのだとスクラムを組んで欲しかった」「朝日の危機ではなく、新聞の危機として捉えるべきではなかったか」の指摘には全く同感である。
「報道とつくる「知」の空間」をテーマにするシンポジウムも良いが。今の新聞社が為さねばならないのは、存亡を賭けた危機感を共有しての、日本新聞協会加盟各社トップの真摯な議論ではないだろうか。Goto

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