焼き鳥屋の前で・・・

地方創生の鍵は・・・その土地に生計が成り立つ地場産業があるかどうかでは?
中央と地方の格差を是正しなければ、そんな声を背景に、地方創生に知恵が絞られていますが。新年早々社用で、東京出張しました。仕事内容は別にして、街の喧騒と申しますか、賑わいに触れるにつけ、田舎者には、驚くばかりです。これではいくら政府が地方創生と叫んでも・・・
叶わぬ夢ではないかとの思いが募ります。なぜ、そう思うのか。人の数が違います。新橋周辺の話ですが、まず、昼に食事に入る店がないのです。昼飯に並ぶなんて、田舎では考えられません。いや、昼だけではありません。新年だからと、仲間と一杯やって帰ろうと思っても・・・
どの店も満杯、入る店がないのです。予約しなければ、無理ですよと言われても、田舎の感覚では、繁盛する店もあれば、閑散としている店もある。どこかに潜り込めるのが常識。それが何処にも空席がないのです。恐ろしいパワーだと、びっくりです。
この賑わいを地方で創ろうと思っても、それは精々一過性のイベントが落ち。継続的な賑わいを創るなんて、よほどの覚悟がなければ無理だと、改めて認識した次第です。しかし、でも、それでも、地方を創生するにはどうすべきか。美味しいと言われる焼き鳥屋の前に並びながら・・・「ふと」思い付きました。
地方が元気になるには、誰かが創ってくれるのではない。そこに暮らし、その土地を愛し、そこで生きている人達が自分達の町や村を元気にしたいと思えばそうなるし、そう思わなければ、衰退するだけ。無理して、元気になれとか、創生せよと強制されてもそうなるモノではないし、そうならなくても良いのではと・・・・
暗くてマイナーな思い付きではない。朽ち果てるものはどうもがいても朽ち果てます。それが自然の成り行きです。賑わいの真っ只中にある東京の街だとても、衰退する地域と喧騒の地域があります。賑わいとは人が集うことです。人は勝手なもので楽しくて明るくて面白い所には集まりますし・・・・暗くて貧しくて、寂しい所には集まりません。
地方にそんな所を演出することは不可能です。地方であろうがなかろうが、生計が成り立てばそこに人は定着しますし、生計の道がなければそこには暮らせません。当然なことです。地方の疲弊とは人が住めなくなっているからです。住めるようにするには、そこに働き口がなければならないということです。
地方創生を願う一人として、創生に必要なのは、その土地でなければならない必然性のある生産事業があるかどうかであると、思い付きました。そうです。如何に衰退していようが・・・その土地に生まれた地場産業の育成に知恵を絞ることです。Goto

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