一億一心

全国民が活躍する社会なんて気持ち悪と思いませんか?
ちょっと恐縮ですが。どうもピントが合わないので敢えて、書いてみます。
何をかと申しますと、第三次安倍内閣の目玉である「1億総活躍社会」についてです。
私は、アベノミクス第三の矢・・・を補完するキャッチフレーズだと思っていますが・・・
人口減を打開せねば、この国の未来はない。そのためには経済を活性化して成長路線に乗せなければならない。その目標がGDPを600兆円にするとの数値目標ですし、出生率を1,8にし、介護就職待機ゼロ方針なんでしょう。しかし、なぜ、それが「1億総活躍社会」なのか?
1億総・・・なんて言えば、思い出さなくても良いことが浮かんでしまいます。
「全ての国民が活躍できる社会」をめざす・・・そのためにはGDPを・・出生率を・・・とすれば良いのに・・1億と国が・・・どうしても「進め1億、火の玉だ」「1億総玉砕」「1億総特攻」と日中戦争、太平洋戦争の忌わしいスローガンと重なります。
往時の思想で1億を称したのは「一億一心」です。国民の心を一つにして聖戦を完逐するため、国民精神総動員委員会が唱えました。昭和14年、時の内閣、期せずして阿部信行内閣でアベですが。毎月1日は「興亜奉公日」となり「一億一心」を確認する日としました。戦争を正当化するため思想統一です。
安倍首相が唱える「1億総活躍社会」が「一億一心」と同義語だとは思わないが、しかし、過去のこの国の間違った方向の象徴が「1億・・・」だとすれば、「1億・・・」などという表現は慎むべきではないだろうか。我が国と中韓との間には未だに歴史認識を巡っての認識ズレがある以上・・・・
いささか配慮に欠くのではないかと思う。それが、ピントが合わない、違和感でだと思うのは私ひとりでないでしょう。それに、「地方創生」の重要さが叫ばれ地方創生特命大臣を選任したのではないか。「1億・・・」大臣との整合性はどうなるのか?船頭多くして舟山に登るの愚を犯しはしないか。大いに疑問であります。
1億・・・戦後唯一使われたのは、そうです。某評論家がテレビは亡国「1億総白痴化」を招くと言ったのが思いだされます。決して良い意味では使われていません。もう一言申し上げると・・・全国民が活躍できる社会なんて、気持ちが悪くありませんか。国民の中には、活躍なんかしたくない人も結構多いと思います。経済成長路線が前進するのは、限定された活躍する人達がいるからだと私は思っています。Goto

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