「自由は土佐の山間より出づ」・・・
先日、高知から友人たちが来岐。久々に岐阜市の中心にデンと構える金華山、その頂きに聳える岐阜城に登りました。金華山は標高373メートル。急峻な山です。歩いて登る場合は二箇所登り口があり、小一時間ほどで・・毎朝健康ウォークで山頂を目指す市民グループもあります。
通常、観光客は山麓の岐阜公園から5分ほどのロープウェイで登ります。金華山、彩りを濃くして晩秋(冬ですね)の粧いが綺麗でした。ロープウェイに乗る前に高知の仲間ですから、岐阜公園に建つ銅像を案内しました。折しも岐阜公園では「菊祭り」が。大輪の花が咲き誇り・・
菊の花で作られた戦国絵巻が展示され、思わぬ目の保養ができました。銅像は明治初期、自由民権運動の先頭に立ち、岐阜公園で演説中暴漢に襲われ斃れた土佐の板垣退助です。
「武力によらず、言論により主権在民の国家を目指す」という自由民権思想は土佐から興り、立志社を立ち上げた植木枝盛はその機関紙「海南新誌」に「自由は土佐の山間より出づ」と言い放ち・・・土佐の各地から民権の思想家、行動家が溢れ出、憲法発布、国会開設、言論集会自由を要求して、全国に散って行きました。板垣退助もその途上で・・・
板垣退助の銅像を友人達と見上げながら・・・ふと、最近の日本って。あれはダメ、これもダメと、変なプレッシャーが掛かりどこか息苦しくありませんか。上から目線で押さえ付けられているようで。誰が縛り付けているわけでもないのに自由がない。そんな気がしました。
岐阜城天守閣から濃尾平野を一望。美濃を征すものは天下を制す・・司馬遼太郎の世界ですが。・・高知の仲間と一緒に・・・地方を元気にするには、今こそ「自由は土佐の山間より出づ」自由民権の思想が必要なのではと・・・感傷に浸りました。
そうそう、後日、土佐の銘酒・・司牡丹、極辛口を贈って頂きました。
司牡丹は坂本龍馬と最も深い蔵元で、龍馬の造った陸援隊の田中光顕隊長が「牡丹は百花の王、さらに牡丹の司たるべし」と司牡丹を命名したそうです。酒は甘口が良いと思っていますが、極辛口の司牡丹も自由が溢れて旨い。Goto
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