人が人であるために・・

天高く馬肥ゆ秋です。さぁー、一生懸命働きましょう。
やっとです。やっと秋らしくなってきました。
今日は体育の日・・・64年の東京五輪開会式・・・
あの抜けるような紺碧の空が蘇ってきました。
季節は嘘をつかないと申し上げるべきか。
それとも、9月と10月初旬は、日本は雨季とすべきで、
10月中旬以降、12月上旬までを秋と変更すべきか。
私の持論です。「人間は働くから人間である」・・
実りの秋、春に種を蒔き、夏に育ち、秋に収穫する。
兎にも角にも、秋は一年で一番働き易い季節です。
ぜひ、人間として、精一杯働こうではありませんか。
日経一面のコラム、春秋、10/3付・・・どうなってしまったのか?
政府の尻馬に、いや、世の中の悪しき風潮に染まったのか、
びっくりするような、内容です。
女工哀史・・・を例に取り。大正5年、女性と15歳未満を対象に、
労働時間に制限をかけ、深夜労働を禁じる工業法が施行された。
長時間労働を抑えようとした最初の法律の施行から今年で100年になる。
残念ながら、十分に効果のある制度は今もできていない。
労基法は1日の労働時間は8時間と定めるが、労使が協定を結べば
残業を青天井で伸ばせる仕組みがある。過労死やうつ病は過重労働が原因だ。
政府の「働き方改革」は長時間労働時間の是正を最重点課題としている。
今も残る女工哀史に描かれた過酷な労働実態、歴史振り返り的確な手を打て・・と。
これが日経看板コラム春秋ですよ。びっくりポンです。
春秋氏に問いたい。
高度経済成長期以降、労使の努力よって、労働時間、労働環境は、
労基法が整備され十分と申しませんが、ずいぶん整備されています。
この国のどこに「女工哀史」時代のような過酷な長時間労働を強いる職場があるでしょうか?
少なくとも第二次産業でそんな職場があれば、職業選択の自由です。
従業員は直ぐに、離職。企業は働き手を失い、倒産です。
また、第三次産業に第二次産業の働き方を押し付けても、無理がでます。
人類の歴史でこの国ほど、働くことを「悪」と決めつけている時代はありません。
AIの時代が来ます。ロボットが働いてくれます。好むと好まざると人は働かない時代が来ます。
日経は、経済成長がこの国を豊かにすると信じて経済紙を発行しているのではないですか。
これ以上、働らかない人間を醸造すれば、経済成長など夢の又夢です。
「働き方改革」で一番にやらなけれならないのは「週休2日制」の徹底です。
祝祭日と有給休暇を加えると、日本の労働者は2日働いて1日休みです。
これ以上労働時間を削って、人間は何をして生きるのでしょうか。
日経新聞・・・春秋氏・・・筆が鈍ってきましたねぇ。
天高く馬肥ゆる秋・・・一生懸命働こうではありませんか。
人が人であるために・・・・・Goto
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コメント

  1. Goto より:

    コメントありがとうございます。
    あの台湾料理店が3店目ですか。
    リーズナブルで美味しいですからねぇ。
    この国は、余りにも合理性を追求し、省エネで稼ぐことを奨励しています。働かず稼ごうと。飲食店は元より、如何なるビジネスでもです。そんな社会ですから、逆に、本気で一生懸命働けば、認められる社会です。
    中国の人たちは健気に、真剣に働いているのでしょう。
    だから繁盛しているのですね。
    経営者の手腕が大ですね。Goto

  2. ナガラ より:

    この件は、筆者に賛成ですね。
    寧ろ、筆者以上に心配しています。
    電通で起こった問題も含めて、職業選択の自由があるにも関わらず、その行使をできないひ弱さの方にも問題があると思います。
    かと云って、電通のような根っからのブラック企業を擁護する気はさらさらありませんが…。
    先週私は、筆者もご存知の台湾料理店の手伝いをしました。
    新たに三店舗目の店を起ち上げたため、そのオープニングセールの手助けです。中国人だけで運営している店のため、日本人とのコミニュケーション調整を頼まれたのです。具体的には、入店者整理です。
    セールは三日間行われ大盛況でしたが、整理をしながら全体を見ていると、いくつか印象に残ることがありました。
    その一つは、中国人はよく動きチームワークが良い。
    二つ目は、厳しい注文にも明るく笑顔で対処する。
    三つ目は、判断が早く、行動が考えるより先。
    ひと昔前なら日本人の専売特許と云われたことが、ここでの中国人の実践になっています。
    つまり、この程度のことは中国などの人たちは簡単に追いついて、簡単に日本人を追い越す、と云うことです。
    これからの社会は、そんな労働集約的な発想ではなく、労働の中身(レベル)とその効率化に問題が移っていることに、労使とも早く気付くべきでしょう。