二度とこのような悲劇が起こらぬよう、私にもできることがあるはず・・・
この歳になると、世の中で起こることには鈍感・・
どんなニュースを見ても、あまり喜怒哀楽を感じないのだが・・
こればっかりは、参ります。怒りの捌け口がない・・
でも、この憤りを自分の胸の奥に入れておかないといけない。
行政には行政の限界があろう。幼稚園や学校にもそうです。
もちろん、警察にも、当人以外、誰かのせいにしたがるのですが、
我が事、我が民族、我が国のこと、自分事と捉えたい。
「きょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい
ゆるして ゆるしてください」「あそぶって あほみたいだから
やめるから もうぜったいやらないからね ぜったいやくそくします・・・」
5歳の女児がこうノートに綴る・・・胸が痛い。書き写しながら涙がとまらない。
6/8・日経の春秋、虐待への対応は一つの機関でできるほど簡単なモノではない。
毎日の余禄、1日1食しか与えられず、風呂場で冷水を浴びせられ・・・
神様、結愛ちゃんが覚えたての字であそぶ喜びを存分に記せる天国へ連れて行ってあげて欲しい。
新聞の一面看板コラムがこんな感傷的で良いのかと思うのだが・・・・
母親・・・19歳で子供を産んで、再婚・・・こうなる原因が何処にあるのかは、
児童相談所も警察も、そして地域の人たちもわかっていたはず、いや・・
予測はついていたはずではないか。
母親の人権もある・・・むやみに家庭の中に入り込んではいけない。
それ以上は、法的に限界がある・・あるでしょう・・・
でも、そんな大人の言い訳、逃げが、この悲劇を起こしたと思いませんか。
社会は無関心過ぎる。若い夫婦の来歴に触れ、なぜ声を掛け、親身になってやれないのか。
話を飛躍させるつもりはないが・・・・自分さえよければ、人はどうでも良い。
そんな社会の風潮は、若い夫婦を全うに生活させるハズがない。
それにしても、酷いです。5歳の女児への虐待。
老いたとは言え、二度とこのような悲劇が起こらぬように
私にもやれる事があるはず、何かせねば、怒りが収まりません。Goto
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