外観と内面を鍛え、綺麗な高齢者にならねば。
最近、思います。高齢者は綺麗であれと。
綺麗とは二つの意味がある。一つは、もちろん外観、もう一つは内面です。
老化してきますと、寒ければ格好など構っていられぬと重ね着し、
暑ければ、下着でウロウロするのも平気になります。
もちろん、ほどよい季節の春秋でも、着た切り雀で、在るものを適当に羽織っている。
それではダメです。老いれば老いるほどに綺麗でなければ。
理由は二つ。一つはこの国の高齢化は今や世界に冠たるモノです。
見た目がオシャレで格好良い、高齢者であることは国の誇りです。
日本の老人のように綺麗に年を重ねたい。日本の高齢者に憧れる。
そんな風に世界から見られることがこの国を際立たせるのです。
もう一つは綺麗な外観、即ち、ファッション、高齢者ファッションが文化となり、
日本の新たな産業創造につながるからです。
フランスはオシャレな国として、世界から注目されています。
先日亡くなったファッションデザイナー、カール・ラガーフェルドさん、
フランスを代表する数々の高級ブランドで一斉を風靡しました。
彼は尽きることない想像力で世界中の若い女性を魅了しましが、
彼の発想に、高齢者のファッションはありませんでした。
日本のデザイナーの中から、高齢者という視点で、シニアファッションが誕生し、
それを日本の高齢者が着飾れば、「綺麗な高齢者」という新たな概念が生まれ、
ファッションの国、フランスなど瞬く間に凌駕すると思います。
もう一つは、内面の美しさです。
こんな話があります。今年の現代書道二十人展、例年になく好評である。
理由は「読める書が少なくなかった」からだと言われています。
最近の書家は「表現こそ大切で何が書いて在るかわからない」
それが正論のように言われている。しかし、書いてあることが、
理解できれば書が何倍も生き生きします。
「若いということは、チャレンジ精神があり、より芸術性を求めるのだが、
真の書家は視覚性と文学性が一体となって、誰にも楽しんでもらえる書」が
書けるものです。なぜ書けるのか、それは内面が充実しているからです。
高齢者は過ごした時間だけ、内面が深くならねばならないのではないでしょうか。
その深さがより深ければ、それを綺麗と言います。
明日から3月、弥生です。高齢者こそファッションに気遣い、教養を身に付け、
外観と内面を綺麗に磨きたいものです。Goto
コメント
後藤社長が、ファッションと教養に言及するのは、初めてでないですか。
ファションは、帽子が大事です。カジュアルなファション、特に冬場はセーターが決め手です。
身につけるものだけでなく、車のファションが決め手になります。
教養は、書画骨董という日本的なものだけでなく、やっぱり西洋美術、音楽、特にオペラ、バレエについて語れなければ、教養人とはみなされないでしょう。日本酒にビール、ウイスキーでは、だめですね。やっぱりワインにカクテル。日本語しかできないというのでは、恥ずかしい、と思いませんか。以上、勝手なことを言いました。