ものさし

ネット時代の価値観がわかっていないのが問題です。
私も疑問に思うのですが、よく考えるとそうでもない気がします。
京都市が、市出身のよしもとのお笑い芸人を使って、
ツイッターで市の施策を2回ツイートして100万円を支払う契約をしたことが、
騒ぎになっています。
どこが問題なのかと新聞記事を読んでみると、
「投稿されたツイートに広告主である市が明記されていない」ことが問題だと、
専門家が声をあげたからだと。
この専門家が誰のことなのかはわからないが、
新聞やテレビは、少なくとも「問題視」したことを問題だと報じたのですから、
彼らにとっては、「やらせ」扱いとして大問題なのでしょう。
しかし、従来のメディアと広告の関係ならば、広告は広告主を明記するのが、
広告の常識ですが、ネットの世界では広告主をいちいち明記しないのが常識です。
でも専門家は公金を使う以上は「広告は広告だから、明記せよ」というのでしょう。
そう言われれば、そうかも知れないと一見思いますが。それは間違いです。
「ものさし」が違うのです。ツイートの中身に対する責任はツイッターに投稿した、
「芸人」にあって、ネットメディアにあるわけではないのです。
京都市は吉本興業と業務委託契約を結んで「市の施策」を「広報が届かない人たちに
知らしめる契約をした」のです。それはPRと申して「広告」とは違います。
そのツイートにはハッシュタグがついているのですから、何の問題もありません。
広告でありながら、広告を表示しない広告を「ステルスマーケティング」と呼びますが、
この問題を「ステマ」だと批判する、これまた専門家と称する人がいますが、
その発想も従来の広告モデルであって、ネット広告の概念とは違います。
別段ネット広告の手法を擁護するわけではありません。
問題は山のようにあります。しかし、ネットには従来の「ものさし」では
推し量れない新しい価値観があるのです。
それを受け入れるかどうかは、フェイクニュースに代表されるように、
どれだけ規制してみても、解決などしません。所詮は後追いであり、
ネットを活用する人たちの問題です。
検索エンジンそのものを法的に縛りこむことができない限りは
新たな価値観で物事を判断するしかないのです。
それを従来の価値観を持ち込むと、一見疑問に思うのですが、
よく考えると、間違っているのです。
この京都市ツイート問題、実はネット時代に追いつかない新聞やテレビの
「ものさし」が大問題なのではないでしょうか。Goto

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