デジタルは愛である。

議会に行こうは、民主主義の新しい形が誕生する兆しではないでしょうか。
「議会に行こう」・・・何十年前の日本だったでしょうか。
1960年安保のことですから。半世紀以上、60年前の話ですよねぇ。
学生が国会を取り囲み、先導者の煽りで国会に乱入・・・
東大生・樺美智子さんが、死亡しました。
それが発端となって、60年安保闘争が下火となりました。
その時、米国はどんな目で戦後15年の日本を見ていたのでしょうか。
「民主主義がわかっていない愚かな国民だ」と侮蔑の目で見ていたのではないでしょうか。
それがどうですか。民主主義の最も重要な手段である「選挙」を
現職の大統領が、敗北を認めないどころか、合衆国憲法によって定められた
政権移行手続きを暴力によって阻止せよと議事堂に多数の暴徒を向かわせたのです。
日本では、悪あがきする人を往生際が悪いと申しますが、
そんなレベルをも超えていませんか。異常な行為です。民主主義の破壊です。
米国の民主主義が未成熟であるならば、世界でどこの国が民主主義の国といえるのでしょうか。
日本のメディアは二言目には「分断をもたらした格差が問題の根源だ」というのですが・・・
トランプ政権がこの4年間で急速に格差を拡大させたとも思えない。
米国事態が長期に渡って格差を助長させてきた一つの終着点が
トランプ政権だったのではないでしょうか。
米国議事堂に流れ込む暴徒をテレビ画面で見ていて、米国民って、
「民主主義がわかっていない愚かな国民だ」と皮肉りたくなるのを抑え・・・
民主主義とは、決して理想でもなければ、完成形があるわけでもない、
この姿も民主主義だとすれば、単なる政治手法の一つに過ぎないのではないか・・・
そんな思いがよぎります。
私たちは、いつの頃から・・・戦後の民主教育なんでしょうが・・
民主主義という言葉を金科玉条として、神棚に飾り奉っています。
社会的に政治的に権力的に何か問題があると民主主義を振りかざし、
正義ヅラするのは考えものではないかと思います。
では、民主主義に変わる新しい主義はあるのかと問われれば・・・
頭を捻るのですが、「デジタル化」が新たな主義を構築するのではないか、
そんな気がします。私は「デジタルは愛である」と思っています。
それが、今見えている新しい主義の光明です。
それにしても「議会へ行こう」はないよね。Goto

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