テレビは時間である。

若者のテレビ離れと高齢者のテレビ回帰に思う・・・
先日、久々にアパレル関係の仕事で一世を風靡した先輩に・・
背筋をピンと伸ばし、スリムな身体にまとうファッションは相変わらずお洒落。
とても喜寿を超えたとは思えない・・・
「久しぶりです」「最近はどんなですか?」「リタイアして地元のためにと
自治会の手伝いかな」「あとは、そうだなぁ・・テレビが友達だね」と
答える笑顔に・・あの舌鋒鋭くファッションを問うた人が「テレビっ子」かと。
そういえば、私の同世代、現役で仕事をしている人がメッキリ減りました。
そりゃ古希過ぎています。当然といえば当然ですが・・
彼らの日常、その中心、一つは医療機関、もう一つはテレビです。
歳を重ねるとは身体が傷むことです。病院通いは仕事でしょう。
でも、テレビを見るのが生活の中心とは・・・広告を扱うモノとしては考えねばなりません。
私の場合、テレビはニュースを見るか、評判のドラマをビデオで見るぐらいです。
若者のテレビ離れが叫ばれていますが・・・
高齢者のテレビ好きは話題になっていません。
テレビ局も、高齢者向けの番組に力を入れることに注力すべきではないでしょうか。
1969年「お前はただの現在にすぎない」という「テレビとは何か」を問うた本が
刊行されました。テレビ放送から15年、大宅壮一が「1億総白痴化」とテレビを
批判したころです。著者は時の与党からTBSの報道番組が偏向だと抗議を受け、
配置転換されたディレクター3名です。
この本をきっかけに「テレビとは何か」が議論されました。
本の巻末には「テレビは時間である」「テレビはドキュメンタリーである」
「テレビは大衆である」「テレビは非芸術・反権力である」と・・・
そして、彼らはテレビ局という組織を離れ、リスクを伴いながらも
自由な発想で番組を作ろうと、独立・番組制作会社を設立しました。
今もNHK・民放を問わずドキュメンタリーに根差したユニークな番組を世に送っています。
私の世代はまさに、ベトナム戦争・学生運動の時代です。
彼らが「テレビとは何か」を問うた時代が青春真っ只中です。
その後、テレビが反権力を貫いたとは聞いていません。
画面の向こう側で馬鹿笑いをする番組にテレビは大衆であったかも知れませんが
我々の世代は経済と向き合うのに必死で・・馬鹿笑い番組には愛想を尽かし、
テレビとの縁を切りました。そんなテレビ局の容権力に彼らは・・今も
ドキュメンタリーで勝負して、半世紀生き残っている・・
その色褪せぬ姿がテレビ番組の端っこに存在して来たが故に
高齢者が「テレビっ子」としてテレビ回帰しているのではないでしょうか・・
そんなことを思いながら、颯爽と立ち去る旧友の後ろ姿に思いを深めました。Goto

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