時代を駆け抜けた風雲児・・・ご冥福を祈ります。
1968年・・・参院選に自民党から全国区に出馬、300万票を集めてトップ当選。
学生時代・候補者石原慎太郎の選挙戦略をつぶさに見ていて・・・
卒論を「政治広告」としました。世田谷の下宿で・・素肌に羽織った革ジャンの
選挙ポスターを思い浮かべながら、ボールペンを走らせたものです。
血判状を振り上げ、石原慎太郎が自民党政治集団「青嵐会」を立ち上げたと知った時、
資本主義でありながら、戦後官僚が築き上げてきた、社会民主主義的な制度、
それが高度経済成長を齎すのですが・・・その一角が崩れたのを知りました。
ソニーの盛田昭夫氏との共著、『「NO」と言える日本』を手にした時、
日本は米国の従属国・そこに怒りの矛先を向けた・・石原慎太郎・・・
三島由紀夫の割腹自殺とダブりました。
議員勤続25年の表彰、国会での謝辞・・・議員辞職した時。
この国の国会議員は「宦官」に成り下がっている。。。との演説に
左派を自認していた私でも思わず、さすが石原慎太郎と溜飲が下がりました。
都知事になった時。石原慎太郎を首相にすべきだったのではと後悔し、
石原慎太郎にはもう1期早く都知事にすべきだっと後悔したのは東京都民ではなかったか。
その後都知事として・・銀行税の導入で金融界を揺さぶり、ディーゼル車を都内から
締め出すと物流業界を恫喝、排ガス規制に乗り出したこと・・・などなど、
石原慎太郎は余人を持って代え難い。
築地の移転を決断・東京五輪2度の誘致・東京スカイツリーの建設、
尖閣諸島の一部を都が購入を表明。・・・これぞ首長の力を示してくれました。
そして、潔く4期目途中で都知事を辞職。石原慎太郎の政治活動、遣り尽くした感がありました。
しかし・・・「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
その後、太陽の党を結成、そして日本維新の会に合流・代表に。
私は・・・石原慎太郎の後継者は、橋下徹氏だと今も確信しています。
最後にもうひと言・・・
毎日新聞は・・議員を投げ出し、都知事も中途半端、五輪も国が開催ありきと
突き進み国民を分断した。石原慎太郎何するものぞと、批判しています。
批判は自由です。しかし、日本人は死者にムチ打たぬものです。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」ご存知ですよねぇ。
石原慎太郎を怖がり、批判のための批判を繰り返し、そして哀悼にも皮肉を交えた毎日・・・
石原慎太郎の真骨頂ではないでしょうか。毎日に送ろう「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と。
合掌・後藤拝
追伸・・・
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の意味・・・
幽霊だと思って怖がっていたものをよく見ると、風にゆれる枯れすすきであった。
薄気味悪く思うものも、その正体を確かめてみると、実は少しも怖いものではないという例え。
怖い怖いと思うと、なんでもないものまでとても恐ろしく感じられるものである。
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