労働者か聖職者か、それとも自己研磨か・・・
これも働き方改革の一環なのでしょうか。
随分、昔の話です。教員は労働者か聖職者という議論がありました。
埼玉の公立小学校の男性教員が県を相手取って、教員に残業代が支給されないのは
労基法違反だと訴えた裁判、東京高裁は1審の埼玉地裁判決と同様、公立学校の
教員は労基法に基づく残業代の請求はできないとの判断を示しました。
理由は。教職員給与特別措置法は、公立学校教職員に時間外勤務を命じられるのを
校外学習や教員会議など4業務に限定し、月給の4%を「教職調整額」として
一律支給する代わりに、残業代の支払いを認めていないからです。
訴訟を起こした再任用で働く男性教員(63)は訴訟で「朝の登校見守りなど4業種以外でも
日常的に時間外労働が生じている」と主張。給特法の枠組みを超えて労基法を適用するよう
求めました。高裁は「教員の自発性と校長の指揮に基づく業務を正確に峻別することは
極めて困難。一般労働者と同様の定量的な時間管理を前提とした割増賃金制度はなじまない」と
指摘、給特法に基づく請求はできないと結論付けました。
昨今、教職はブラック企業だと、社会問題化しています。
教員のなり手が少ない要因も長時間労働に起因していること大です。
原告の再任用男性教員は自分の問題というより、教育現場の現状を訴えたのだと思います。
上告するそうです。最高裁がどんな判断をするのか・・・
教職を職業でも仕事でもない「使命」に近い意味合いを持つとする「聖職者論」をとるのか。
教師であっても根幹は人間、教職は賃金を得る方法・手段であり目的ではないとする
「労働者論」をとるのか。それとも日々変容する教育的ニーズ(不変的・変容的)に応じて
研修と修養を重ね、自己研磨し、絶えず向上しようとする姿勢を持つ必要があるとする
「自己研磨論」をとるのか・・・
教育は日本の国家100年の大計です。
働き方改革が叫ばれています。教員を労働者扱いするのも、聖職者扱いも
一長一短ありますが、4%の割り増しで全てを片付けるには無理があります。
最高裁の判決を待ちたいものです。Goto
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