一票の不平等

一票の重みの格差って・・・2倍が正しいのでしょうか・・・
ちょっぴり・・・重たい話です。でも煎じ詰めればその都度、是正すれば良いのですが。
2021年10月に実施された衆院選・「一票の格差」が最大2.08倍だったことに
弁護士グループが選挙無効を求めた訴訟16件の上告審判決で最高裁大法廷は
2倍までは「合憲」と判断しました。
朝日新聞は社説で、2.08倍は投票価値の平等を求める憲法に反しないとの
「2倍」容認は許されぬ・・・批判しました。しかし、次回の選挙からは
都道府県への定数配分でより人口比例に近い「アダムス方式」の採用を決め・・
次回衆院選からはそれに基づく10減10増実施されます。現状ではこの判決はベスト、
あえて批判するには及ばないと思います。
朝日の司法批判は至ってシンプルです。
選挙の公平という基本的な価値がないがしろにされて良いはずがない。
国会は絶えず人口の動きを見つめ、小幅でも区割りは見直すべきである。
その怠慢を咎めない司法の判断は、国民の利益に根差したものとは到底いえない。
では・・・どうすれば良いのか。毎度のことですが、朝日は代案を語らない。
2倍以下なら良いのか。公平性というからには1対1でなければならないのか。
国会議員は地域代表ではなく、全国民を代表する存在であることを忘れるなとの主張は、
選挙制度を全国1区にして公平さを担保せよというのか。であれば・・・一票の格差は解消する。
それで良いとなれば・・政党優位となり、個人の入り込む余地はなくなるではないか。
朝日の主張するところの、弱者の側に立つことができなくならないか。
地方・過疎地の切り捨てになってしまう。社説では・・新制度に安住するな、
たゆまぬ是正を続けろと主張するが・・・そうなると、人口比例重視となり、
都道府県への定数配分というアダムス方式もダメってことになります。
今日が節分です。節分の節は季節の節。分は分けることです。
ですから・・・暦の上では冬と春、二つの季節の分れ目です。
季節と季節の隙間には災いや邪気が忍び込むとの言い伝えがあります。
その隙間に入り込み「災厄・病魔・油断」を持ち込むのが「鬼」です。
「鬼」は人に悪さをする「隠(おん)」に由来します。
節分の日には鬼が苦手の「いわし」を食べて・・・焼いたイワシの頭を
ヒイラギの枝に刺し(やいがし)、玄関や門口に飾り鬼を祓います。
もちろん、14世紀の宮中行事が始まりと言われる・・
邪気払いの風習「追儺(ついな)をルーツに「魔(ま)を滅(め)するの
語呂合わせで、豆を撒いて無事に鬼を追い払うと福がくると豆まきをします。
そして年の数だけ豆を食べる「年取り豆」で若さを保ちます。
一票の不平等を分けるのが2倍だとすれば・・・2.08倍は分ける瀬戸際ってことでしょうか。
最高裁大法廷が2倍を分岐点と言うのなら・・・まだ冬ってことですね。
でも、春が・・・過疎地に暮らす人を切り捨てるとなると、それも問題です。
私は思います。節分に鬼が現れるのも人が作った迷信。豆を撒の語呂合わせ程度の話。
だったら、2倍が一票の不平等の限界点であるかどうかはその時々の人間の
判断で良いのではないでしょうか・・・だって、最近の国政選挙では国民の半数近くが
投票を放棄しているのですから・・・Goto

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