時間について考察してみました。
不平等を無くさねばならない。そう思いませんか。
そうですよねぇ。世の中の争い事って、根本は人間が人間を認めない、
相手を尊敬できないことに起因しているのではないでしょうか。
ダメなものはダメ。嫌いなものは嫌い。自分の考えや思い込み、主張は
絶対であって、それを変えることなどできない。あなたが従うならば良いが
それ以外はあり得ない。つまり、自分中心の考え方が、差別や格差を
生み出しています。そこを解決しなければ争いごとは無くなりません。
でも解決できるのでしょうか。せねばならないのは理解できますが・・
無理ですよねぇ。人には好き嫌いがありますし、自分が一所懸命、
命を賭けて努力したり頑張ったことを自分で否定などできませんからね。
ましてや、民族とか、国家とか、宗教となると俄然、相手を屈服させたがりますね。その結果・・不平等が生まれます。
今日は何の日か。ご存知の通り・・・時の記念日です。
由来は「日本書紀」です。天智天皇の10年(671年)4月25日、漏刻と鐘鼓によって初めて時を知らせたとの記事からです。その日を太陽暦に換算、6月10日が時の記念日になりました。由緒正しき記念日です。
第一回の記念日は大正9年(1920)、社会生活の近代化推進という時代趨勢の中、時間厳守・時間割による行動規律、時間を節約することによる効率性の向上が近代生活の基本として位置付けられました。
新1万円の顔になる澁澤栄一らが「国民生活改善同盟会」を組織して「時間を正確に守ること」を提唱しました。その後、東京天文台の河合章二郎が記念行事を提唱、「漏刻祭」を行って、時の大切さを宣伝することになり、続いて「時の記念日」の名称が決定しました。
「時間を大切にする」ことによって効率性の向上を図るなんて、今でも立派に通用しますね。働き方改革も結局は時間厳守ですから。逆に言えば、大正の時代どころか、1500年前から時間を守ろうと言ってきたのです。人間という奴は古今東西、時間にルーズな生き物なのかも知れませんね。
話を戻します。
不平等を解消することなどできないと申しましたが・・・
世の中には絶対などはありません。神羅万象、全てに言えること、でも・・・
一つだけ平等なものがあります。そうです。それは「時」「時間」であります。
時間だけは誰にも平等です。不平等に苦しむ人も、差別や格差を助長する人にも、ということは、時間という奴は、ひょっとすれば、不平等を解決する重要なキーワードではないか。そんな気がします。
昨日の日経・朝刊に「ここから新しい時間がはじまる」SEIKOの広告が掲載されました(写真参照)・・・夜明けを表現するだけでも数えきれないほど
多彩な言葉がありますね。日本は時とともに移ろい行く自然からインスピレーションを受け、その美しさや儚さを愛してきた国・・・素晴らしいコピーです。
時は全てを水に流すと申します。
この世で起こる不平等はこの世で解決したいものです。
それを解決できるのは、誰にも唯一平等な「時」ではないでしょうか。
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