創立記念日です。

飲水不忘掘井人(水を飲む時に井戸を掘った人の苦労を思え)

上機嫌ですか?今日は、朝からいつもに増して気合いが入っています。
えっ・・朝はいつも元気が良いじゃないかって。そうですね。
私は朝起きを旨としています。4時半過ぎると東の空が明るくなり、
新緑が眩しく、爛漫の花々が香る・・早朝の空気が大好きです。

いやいやいつもの朝よりも元気なのは、今日は我が社の創立記念日だからです。
中広は、48年前、地元新聞を追われ浪々の身であった親父殿が、55歳で立ち上げました。発端は中日新聞の岐阜県版広告のオープン化(それまでは電通岐阜支社・一社買い切り)に伴い新たに広告代理店を募集したことによります。

当時の中日新聞・加藤巳一郎社長(後に会長)から直々に声が掛かりました。
親父殿は追われる前まで中日と販売合戦で凌ぎを削っている岐阜新聞の、それも販売・広告・事業担当の役員でした。複雑な状況でした。何度かの折衝の後・・・岐阜・粟野の名刹・大龍寺で加藤社長と親父殿との会談が。

私は別室で控えておりました。高らかに笑う関係者たちの声が聞こえました。
それが、中日新聞岐阜県拠点代理店・中広誕生の瞬間でした。1977年秋、大龍寺境内は満天星躑躅(どうだんツツジ)で真っ赤に染まっていました。

それから、広告代理店立ち上げの準備が。そして翌年、5月1日に創立いたしました。創立にあたって決めたこと、誓ったことがあります。まず、社名です。中日新聞の広告を扱うから「中広」です。もちろん、大阪を発祥とする広告会社「大広」を意識したからです。

なぜ、創立日を5月1日にしたのか。これは「働く人を大切に」することが会社の発展につながるとの親父殿の思いからです。そして極め付けは、社訓「飲水不忘掘井人」の精神です。私の部屋には書家・毛利柳村先生が揮毫した「飲水不忘井人」の額が掛かっており、毎朝、合掌しています。

意味は「水を飲むときには井戸を掘った人の苦労を忘れるな」飲水思源とも申します。ですから、私は中日新聞あってこそ中広である。その御恩を忘れません。

創業から8年目、親父殿は肝硬変で倒れ、2年後65歳で他界。親父殿は豪放磊落・天衣無縫、そんな言葉がピッタリな豪快な人でした。その後を継いだ私は、38歳。仲間は21名。それから37年の歳月が流れ、75歳になりました。
親父殿よりも10年も長く生かさせてもらっています。

因みにであります。親父殿の教えを思い起こすに・・・人は「師を持て」「一生の目標を持て」「自分なりの経歴をつくれ」「良書を傍に置け」「良き友を持て」と折に触れ、時に触れ語ってくれました。私の生きる指針です。

日本全国、5000万世帯にハッピーメディア・地域みっちゃく生活情報誌をお届けする。目標は定まった。縁尋多逢・素晴らしいき友人や仲間との邂逅もある。若い優秀な後継者が育っています。自宅の小部屋には良書が溢れ古の教えに恵まれています。

だが、未だ師と仰ぐ親父殿の手のひらから飛び出すことは叶わぬ。
まだまだ修養が足りぬなぁ・・・と故郷の中心にでんと構える金華山。その頂に聳える岐阜城を眺めながら自省の日々であります。
「飲水不忘掘井人」今日も上機嫌で創立記念日の朝を歩かん。Goto

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