まだまだ苦労が足りません・・・・
こんなことを教わって、考えています。
言葉を整理したいので、批評を分かりやすく批判とします。
私は自分を振り返って、どうも物事に対して斜めに見ると申しますか・・
批判的な見方をするようです。歳を重ね、でしたの方が正確かも知れませんが。
講演や集まりなどで、人の話を聞く機会がある時など、自由席の場合、あなたは会場のどのあたりに座りますか?前の方ですか?後の方ですか?私は後の方で聞きます。それがあかんと言われました。人間は後の方で聞くと、とかく傍観者となって批判的になりやすい。
これに反して、一番前の席で聞くのはちゃんと話を聞きたいと言う受信の態度。
せっかくの機会。できるだけ前の方の席で聞くのが良いと。
そう言われてみると、妙に納得です。人の話を聞く人間でなければならない。
などと人には申すのですが。後の席に座るという態度そのものが、もうすでに話を素直に聞こうと言う姿勢に欠けているってことです。自省です。
こんな風にも言われました。
人間って奴は批判的な態度にとどまっている間は、まだまだ真に人生の苦労をしていない何よりの証拠だと。自分を安全な場所に置いて人の長短をとやかく言うているようでは、まだ、その心に隙があって、真の真剣さには至っていないと。
そう言われると赤面ですが。そもそも私のモットーは上機嫌です。上機嫌であるためには、感謝の心と謙虚な姿勢が必要です。それを旨としているのですから、人間は悪くないと思っているのですが。なぜか批判的な態度を取る。
なぜ、そうなったのかと考えますに。その原因は朝日新聞にある気がする。
私はカラスの鳴かない日があっても。新聞のページを捲らない日はありません。(休刊日を除いて)とりわけ、若い頃は朝日新聞でした。赤い赤い朝日ジャーナルも購読していました。仕事を始めるようになってからは日本株式会社の機関紙・日経新聞も欠かせないのですが。
朝日の論調って、体制批判がベースです。社会的弱者の立場に立ち結果的には政権を監視し、政権政党を批判します。それに毒されて育ったのです。だからモノの見方や考え方が批判的になったのだと思う。こんな、体に染み付いた批判的な人間って、直すことができるのでしょうか・・・
直りません。それがその人の教えです。
自己分析して、批判的な態度の原因は朝日新聞に違いない・・・なんて批判しているようでは直るはずがない。そう言われれば、そうですね。
でもそれでも、直す方法はないのか。子曰く「批判的な人間というものは、理屈だけで治すことはできない。実際人間というものは、せっぱ詰まって、どん底へ陥ってみないことには、その高慢な独りよがりの態度や考え方は直りにくい」
やっぱり朝日が、批判のための批判を繰り返すのをやめて、真っ当になるのは、発行部数が半分に落ち込んで、経営が成り立たなくならねば、直らないってことだろうか。まぁ・・こういう考え方が批判的であかんのですが。
「偏食をなおすには、あれこれ理屈を言うよりも、実物教訓で、食事を与えねば良い」と仰る。まぁ、私は朝日新聞はひもじくなれば、もっと批判的になると思うのだが・・・なるほどと思う。
批判することは悪いことではない。批評知には、一種独特の鋭さがあるもの。
でもです。いつまでもその段階にとどまっていると、人間の真の成長はない。
批判的、傍観的な態度を脱するには何らかの意味で、苦労せねばあかんかも知れない。冒頭に批判的でしたと書きましたが。随分そうではなくなったと思うのですが。まだまだ、苦労が足りんです。ハイ。Goto
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