大船鉾の大車輪・飛騨の匠の技です。誇らしい。
京都の夏の風物詩といえば・・誰がなんと言おうと「祇園祭」ですね。
私は祭りが好き。祭り事である政治も嫌いではないですが。でも過去に祇園祭を鑑賞したのは一度だけ、3人の気の置けない友と泊まり掛けで。もう15年以上前になる。汗をだらだらと流しながら、友が好きな酒はビールだった。ビール片手に「山鉾」を見て回ったものです。
その一人が5年前に癌で亡くなってしまった。祇園祭のコンチキチンを耳にすると思い出す。笑顔が爽やか。結構ストレートに物事を処理する私は、地域での批判も多く中傷されたものだが、私を非難することもなく、まるで友とはかくあるべきだとばかりに。オマエを信頼しているぞと、「無条件に受け入れ、聞く耳を持って、接してくれた」随分と助けられたものである。祇園祭が話題になると寂寥、悲しい響きがある・・・
ご存知だと思うが。絢爛豪華な祇園祭は千百年の歴史を刻む。八坂神社の祭礼。
古くは、祇園御霊会と呼ばれ、貞観11年(869)に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行、勅を奉じて当時の国の数・66カ国にちなんで66本の矛を立て、祇園社から神泉苑に神輿を担ぎ、災厄の除去を祈ったのが始まり。
NHK今年の大河ドラマ「光る君へ」の頃です。祇園祭のシーンがあるかと思いましたがなさそうです。7月1日の「吉符入り」にはじまり31日の「疫神社夏越祭」で幕を閉じるまで1ヶ月間、各種の神事・行事が行われます。日本一のお祭りです。
前触れが長くなりました。今日のブログは飛騨の匠を誇りたい。
ご案内かも知れませんが。平安時代・飛騨の宮大工が何百人も、平安京建設のために駆り出された歴史があります。当然に祇園祭の「鉾」づくりも彼らが担っていました。
その技術と伝統は高山祭の屋台作りに受け継がれています。
この度、祇園祭の山鉾「大船鉾」の「大車輪」新調を受注した高山の宮大の工房「八野大工」は、3年間掛けて完成させ祇園祭関係者に引き渡しました。
凄いことです。日本中でこの大車輪を作れるのは・・・いくつもない。
「大船鉾」は幕末の禁門の変(1864)に焼失。京都市の四条町大船鉾保存会が2014年に復活させ、150年ぶりに巡行。船の形をした白木の鉾で、豪華な縣装品が飾りつけられている。復活時の車輪は、他の山鉾で使われなくなった車輪を取り付け代用していたが、保存会が車輪の新調を同社に依頼、完成した。
素人では理解できないのですが。材料はもちろん木材です。車輪を受ける中央部は樹齢80年以上のケヤキ。外周は7区分の部材「大羽」を木材の伸縮を加味しながら、車輪の円がわずかでも歪まないよう「正円」に仕上げた。
サイズは元の車輪よりも大きく直径213.4センチ。重さ685キロ、どれだけの大仕事か、わかるというものです。それを4本完成させたのです。依頼した保存会は「鉾の巡行を見た人が恐れおののく『畏怖』を感じるものになった」と大満足。まさに飛騨の匠の技・ここに息づくであります。
祇園祭を見に行った友と、「大船鉾」に取り付けられた・・大車輪を大はしゃぎして、そうビールをグビグビと煽りながら飛騨の匠に拍手を送りたいなぁ。Goto
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