五輪にひと言

朝日新聞的・五輪批判に同調する識者に問う、ではどうすれば良いのか?

パリのど真ん中を流れるセーヌ川をメインスタジアムにして、
開会式を開催したフランス政府ってさすがですねぇ。
どんな神がいたずらしたのか、降りしきる雨だったが、ものともせずにやり切ったのは見事です。

でも私の率直な感想では、東京五輪が世界を襲ったパンデミック・コロナウイルスの影響をもろに受け、1年延長。無観客で強引に挙行されたのに続き、
雨に祟られました。これって、近代五輪もぼちぼち潮時ではないかとの
神々のお告げかも知れないと思えて仕方がない。

朝日の天声人語です。
ある翻訳家の「オリンピック」が嫌いだを綴っている。
「朝から晩までオリンピック・オリンピックとそのことばかりになるから嫌いだ」「メダルの数に固執するから嫌いだ」「メダルを取らなかった選手と種目は最初から存在しなかったことになるのが嫌いだ」「国別なのも嫌いだ」と嫌い、嫌いと連発している。

そして、世の中がどっとオリンピックで覆われるのは天声人語氏も落ち着かないという。じゃあ朝日新聞は、連日何ページも五輪の、それも日本選手の活躍に紙面を割くのをやめれば良いのではないか。五輪が嫌いで五輪に反対している朝日なのだから・・・

いや、落ち着かないといっているだけで、天声人語氏は五輪を嫌いではないという。理由はその理念を共感するからだ。戦争を否定し、平和を希求する。
多様性を重んじ差別を排し人権を尊ぶ。目の前の現実とかけ離れているからこそ崇高なる意義にこだわり大切にしたい。だから、理念が素晴らしいから嫌いじゃないという。

日本選手団が20個の金メダルを目指すというが、大事なのは数ではない。
国別対抗の意識を煽るようでとても心配。胸を打たれるのは、一人ひとりの選手の活躍である。過剰な商業主義が、スポーツの魅力を陰らせていないか。選手たちの配慮でなく、テレビ放送の都合で競技時間が決まるのであれば本末転倒も甚だしいと憤る。まぁ・・・怒ってみせる。朝日らしいですね。

朝日に聞きたい。では今の五輪のあり方をどう変えればよいと思うのか。
朝日的に教育の一貫であるとの大義名分を振り翳して主催する。全国高等学校野球選手権大会の商業主義を覆い隠して理念を掲げて開催しているのと全く同じではないのか。それには何の矛盾も感じずに良しとするなら・・・

オリピックだって、クーベルタン男爵の理想を掲げて開催しているのだから、
天声人語氏を使って敢えて「嫌い」にならなくても良いのではないか。まぁ、反対のための反対をすることが新聞の使命だと思っているのだから、まぁ、それでもいいのですが。

私は思うのです。東京五輪の延期開催・雨に祟られたパリ五輪。神は五輪のあり方、このままでよいのかと問うているのだとしたら。暑苦しい理念など取っ払ってしまえばよいのではないか。純粋に各種スポーツの世界No.1を決めるのが、オリンピックだと規定すればよい。そして、問われるのは厳格なルールのもと公平で公正な試合が行われることである。そもそも、それこそがオリンピックなのだ。変に理念を掲げるから、朝日的批判を最もらしく思う人が増えるのだ。

私は、日本選手がんばれ。出場した競技ではぜひ、メダルをとって欲しいと思っている。本当は日本の選手を応援しているのに、妙に知識人ぶって「五輪は嫌い」という人が私は嫌いだ。スポーツは純粋なものです。打ち込むアスリートたちに心からのエールを贈りたい。Goto

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