岸田首相の自民党総裁選・不出馬に思う・・・
8/14、岸田首相が9月の自民党総裁選に不出馬を表明した。
事実上の退陣表明である。日本の舵取りが変わるってことである。
政界のみならず、様々な方面に激震が走った。
同時に政局は一気に総裁選一色になった。
なぜ、8月14日だったのか・・いや14日でならなかったのか。
簡単である。15日は戦没者の慰霊祭がある。その前日はお盆休みで、
官邸のみならず、自民党本部にも人がいない。誰にも邪魔されない・・
その空白が14日だったからである。このタイミングで退陣を表明すれば、
様々な思惑に翻弄されず、次期総裁についてもフリーハンドを維持できるとの
目論見があったからである。
朝日新聞の天声人語、好きだが。
正鵠を射ている。最もらしく裏金問題のけじめをつけるというなら、もっと早くつけれたはずである。総裁選で勝てる見込みが立たず、総選挙の顔を変えねば、自民党の下野まで囁かれる始末。どうにも立ち行かなくなっての不出馬ってところが本音だろう。防衛費の倍増・憲法九条に自衛隊を明記・原発の最大限活用・
定額減税などなど、どの政策にも岸田氏が政権を維持し続けたい以外に論理性はない。
今更ながらだが、この3年間、岸田氏は何がやりたかったのか。
当初掲げた「新しい資本主義」とは何だったのか。敢えて申せば、金融緩和は日銀総裁の交代を機に路線転換を持ち込んだ。結果は歴史的な円安による国力の低下を鮮明にした。株価は実体経済とかけ離れ高騰したが、所詮は中途半端な経済政策で米国経済に翻弄されただけだった。
岸田政権の3年間はなんだったのか。それが検証されることはないと思うが。
岸田氏は何が目的で、何をやろうとして首相になったのか?
私には全く理解できなかった。この3年間・岸田氏を総裁に選んだ責任は重い。
岸田氏には従来の最高の価値を信じる精神力もなく、そうした価値が無意味に感じられ、何も信じられない事態に絶望し、最後は疲れ切ったため、その時々の状況に身を任せ、流されるように生きるという態度が目立ち。
ある時は精神力が高揚し、従来の価値を乗り越えていくがために、従来の価値が無意味に感じられたり、すべてが無価値・偽り・仮象ということを前向きに考えてしまったり。更には絶望することに能動的になることにも価値がないと考え、弱さのニヒリズム・強さのニヒリズムを否定する。自分では何も考えず、しかし、他者からの干渉も価値がないものだと無視して生きるというような一種の「悟り」ような態度が散見された・・・
これって、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義・目的・理解できるような真理・本質的な価値などがないと主張する哲学的な立場であるなどと考えてみると、岸田さんって「ニヒリスト」ではないか。
そう思えて仕方がない。
8月14日に不出馬表明・即ち首相退陣表明をした、岸田氏の根底に漂うものは、
国民の豊さと安寧のために政治があるのではなく、人間存在は無意味であり不条理であるとしていたのではないか。そう思えてならない。退陣を喜ぶべきかどうかはわからないが、看板の掛け替えで次の総選挙が乗り越えられるのであろうか?Goto
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