新聞週間

新聞のない世界は、極端な階級社会になる。

秋のと敢えて申します。秋の新聞週間が15日から始まりました。
総選挙と重なりましたので、紙面の扱いは薄い気がしますが・・・
恒例の著名人(毎回人選に苦労していますが)が新聞を評価する
「いま・新聞に求めること」のコーナー・・・

今年は整理収納アドバイザーのEmiさんとモデル・タレントのゆうちゃみさん、
そして作家・元外務省主任分析官・佐藤優さんがコメントを寄せています。

Emiさんは「これです」と一つの形を提供するだけでなく、選択肢を増やすことができるから、新聞を読む価値があると語り。新聞を読むと、どのように役立つのかを伝えることができないと、新聞は生き残れないという。まぁ、その通りですがそれができないで、苦労しているのが新聞なのだから・・・そこをどうしたら良いのか。難しいが教えて欲しいところです。

やはり圧巻のコメントは佐藤さんですね。
「新聞はなくならい」と断言。なぜなら、社会の指導的な立場の人は、世の中の動きを新聞で理解しているからだと。私の持論と全く同じです。新聞の購読者が減り続けています。理由は可処分所得から新聞代を払う余裕がないからです。
新聞から情報をとるよりも、ネットで得た方が、費用が掛からないからです。

佐藤さんはインターネットで飛び交う情報のベースは新聞にたどり着くことが多い。ならば元の新聞を読む方が良いという。だから新聞を購読する人は社会的に影響力がある人ということになる。今後、新聞の発行部数は少なくなるだろうが、新聞記事としての需要は益々高まっていると分析する。そう思います。

更にです。佐藤さんのこの意見に納得する。
「新聞のない世界」は極端な階級社会になる。ごく一部で情報を共有する人がいて、それ以外の人たちは権力者から流れてくる情報に従わなければならなくなる。非常に閉鎖された社会だ。ロシアも中国も、北朝鮮を見れば明らかだ。

そこに存在するのはクチコミ情報ばかりで、「地球が平面」だと信じるような人が増える。権力者の言い分をそのまま受け入れ、すごく受動的な人たちが生まれるであろう。だから階級社会にならざるを得ない。

佐藤さんは新聞についてこうも言う。この意見にも賛同する。
新聞が一つしかなくなるのも恐ろしい世界だ。「国家は一つだから新聞も一つでいいんじゃないか」ということは、権力者が密かに望んでいることでもある。
日本の新聞は保守系も(読売・産経)リベラル系(朝日・毎日)も国に抗う報道には積極的だ。これだけ多くの新聞社が切磋琢磨している世界でも珍しい日本の新聞状況は素晴らしいと結ぶ。ちょっと褒めすぎだが・・・

日本新聞協会・同業他社がそれぞれのジャーナリズムを発揮できる団体として存在することに意義がある。秋のと敢えていうが、新聞の発行部数が激減し、新聞の存在が問われていることに正面から立ち向かうための「新聞週間」であれと願う。新聞よ。負けてはならじ・・・Goto

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