あぁ毎日新聞・・・

新聞命の私です。新聞に感謝します。同時に叱責もします。

晦日です。新聞各紙・今年もお世話になりました。
私の人生・新聞無くして成り立ちません。
新聞を捲ること。それも全国紙4紙と地方紙2紙・そして地域夕刊紙の計7紙に
目を通すことが日課であり、人生そのものであります。

改めて、新聞作りに勤しむ新聞人たち。紙を提供して下さる製紙会社・配送して下さる運輸会社、そして家庭のポストに届けて下さる、新聞販売店の配達員の皆さんに感謝、御礼申し上げます。新聞は私が生きていく上でなくてなならない、そうです、必要不可欠の情報源です。ありがとうございます。

オーバーに思われるかも知れませんがこのブログのネタも大半が新聞からの情報を元にしています。新聞のおかげであります。

昨今、新聞など読まなくても、スマホのニュースやテレビの報道番組を見れば、一日遅れの新聞を読むよりも早くニュースを手にすることができる。それで事足りるのに。購読料も掛かるし、ホッチキスで留めねばあかんし、かさばるし、ページを捲るエネルギーもいる・・なんで今更新聞だって、いう人が多い。

まぁ・・それを否定する積もりもありませんが・・・
私は新聞はメディアの盟主だと思っています。権力への監視を努めてくれます。
もしも、新聞なかりせば、権力を握ったモノたちの無法地帯になってしまいます。現に米国でローカル新聞が廃刊になったエリアではびっくりするようなことが起こっています。乱暴に申せば、トランプが大統領に返り咲いたのは・・
米国で1000社以上の新聞社が消滅したのが要因だと言われています。

情緒的ですが。新聞の妙味は、早朝・ポストに投げ込まれる新聞配達員の単車の音。慌てて新聞受から取り出し、今日のトップはなんだと目を通す。そして紙ズレの音・インクの匂い。記事の行間に滲む、記者の思いに馳せる・・
それを楽しみ、新聞を人生の潤いにするのが何が悪い。と開き直っています。

とりわけ・・・好きなのは。まるで一度決めた主張は、どうであれ全く変えない。その頑固さが良い。朝日新聞や毎日新聞の論調がその象徴です。クリスマスイブに掲載された毎日のくらしナビ・・環境・・笑っちゃいます。

この国の脱炭素遅れ、国際社会から相手にされなくなる。
経団連も、環境団体も、知事会までもが、日本政府の温暖化ガス排出、2050年までにゼロにする方針・段階的に削減するのが無理だと憤る。だってですよ、環境相は政府を代表して予定通り、50年にゼロにするって言っているのです。

それをできない。できないって主張することに何の意味があるのか。
それをいうなら、なぜできないのか。どこをどうすればできるのかを
主張せねば、批判のための批判でしかない。なのに、ムキになって政府が甘いという。

こうなると政治の責任じゃないですか。50年にゼロにすると公約する政党を支持して、そうなるようにすれば良いではないですか。誰も反対していないのですから。こんな主張を繰り返すことを「ああ毎日新聞」っていうのです。だから新聞が読まれないのです。読売は具体的に提案するから、購読部数を維持しているのです。

長くなりますが。「ああ毎日新聞」との嘆きをもう一つ。
これも24日の記事です。タイトルは「国民民主の玉木氏の処分意味がない」です。もうお分かりですね。役職停止処分にしたのにテレビに出るわ、講演活動をするわ、SNSで配信は続けるわ。そんなことは許されない・・・っていう国民民主の議員たちを代弁しての主張だとする記事です。

要は玉木氏の不倫が認められない。世間を騒がせた責任の取り方が甘い。
議員辞職に値する。そんなヒステリックな毎日新聞の姿勢です。そもそも、この問題は家族と当人の問題です。そんなものを、手を変え品を変え、いつまでもグチャグチャいう話かです。果たして毎日新聞は、高潔・潔癖で、公序良俗を重んじる新聞なのか。三流週刊誌じゃないのです。

こんな記事をさも得意そうに掲載して悦いっている。「ああ毎日新聞」と嘆くしかない。新聞命の私が晦日に、毎日新聞って大丈夫かい。来年もメディアの盟主としての維持ができるのかと心配せねばならないのは、如何にも残念です。Goto

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