テレビの復活

フジテレビの社会派ドラマに、脱「楽しくなければ」の萌芽を感じる

「やっぱりテレビはテレビだ」ーー。改めてそう思われる。
近年、若者の娯楽の中心はネットに移った。
だが、一方で、高齢化社会にあって高齢者の視聴率はむしろ上昇傾向を示しているのだ。

思えば60〜70年代、黄金のゴールデン帯において覇者はTBSであった。
民法の雄として数多くの名作ドラマを世に送り出し、国際的な音楽祭を主催するなど、テレビを単なる娯楽ではなく文化装置と位置付けた。テレビは文化であるべきーーそうした誇りを体現していたのである。

ところが80年代に入り、フジテレビが「楽しくなければテレビじゃない」を旗印に急伸する。82年には視聴率でTBSを抜き首位へ。フジは「何が文化かを決めるのは視聴者だ」と言い切った。これが日枝体制だ。作り手の理屈より、視聴者の笑いを優先する姿勢は、当時「テレビの民主化」と喝采を浴びた。

しかしその裏には、常に「文化から娯楽への堕落ではないか」という批判がつきまとった。評論家・大宅壮一が「一億総白痴化」と喝破したように、テレビはしばしばその存在意義を問われ続けてきた。

やがて、フジはバラエティ一辺倒の編成に傾き、ゴールデン帯は芸人頼みの番組で埋め尽くされた。視聴率至上主義は楽しさを量産したように見えて、実際は「バラエティのないバラエティ番組」を生んだ。そこから若者のテレビ離れが加速したのである。「楽しくなければテレビじゃない」という理念をフジが自ら「楽しさの本質」ではなく「数字」へと矮小化した結果であろう。

しかし、例の事件以降、フジは姿勢を変えつつある。この夏の連続ドラマ群は、笑いで誤魔化すのではなく社会と正面から向き合った。私学が抱える課題を描いた意欲作「僕たちはまだその星の校則を知らない」宮沢賢治には感動した。
居場所を失った若者の学ぶ意欲を問う「愛の がっこう」児童虐待の現実を
児童相談所の視点から取り上げた「明日はもっと いい日になる」・・

どれも安易な逃避を許さず、視聴者に現実を問いかける今までのフジにはない意欲的なドラマである。いずれも歴史に名を残すであろう。とりわけ、児童虐待防止の窓口相談「189番」の周知徹底に力を注ぐ中広グループから見れば、フジの姿勢に大いなる敬意を表したい。

テレビは文化であると同時に民主主義の器でもある。
視聴者を笑わせることは大切だが、それだけではない。
社会に問いを投げかけ、時に痛みを共有し、人々をより良い方向へ導く責務をも負う。高齢者が主流の視聴者層となった今だからこそ、文化的な番組を作り続ける勇気が求められるのではないか。提供スポンサーを舐めてはいけない。

もしフジが「バカ笑い」に頼る番組を自ら切り捨て、楽しさと真剣さを
両立させることができるならーーフジのみならず、テレビは必ず復活する。
いや、テレビだからこそ、復活しうるのだ。Goto

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