年末雑感

火の用心、討ち入り、そして年神様の足音

12月も半ばになると、空気がカラリと乾いてくる。まず申し上げたい。「火の用心」である。

今月に入って全国各地で大火が相次いている。岩手県大船渡市山林火災。消失した森林面積は2.900ヘクタール、国内最大級の火災だった。大分市佐賀関、大規模火災。住宅など170棟以上が消失。北海道函館市でも。痛ましい。

年末年始の火事ほど敵わぬものはない。だからだ。江戸の町は幾度も大火に襲われ、幕府は町民に夜の見回りをさせた。「火の用心、マッチ一本火事のもと」。拍子木の音はもう聞こえないが、気の緩む師走ゆえ、お互い油断禁物である。

会社経営も同じで、期末にこそ“火の粉”が舞う。小さなほころびが、大火事の種になる。特に今月は用心深さが第一だ。丁寧に見廻りたい。

さて、12月14日は「討ち入りの日」。
忠臣蔵を知らぬ人はいないだろうが、エッ?忠臣蔵ってなに?なんて世代も増えているとか。驚きだ。

私はこの日を“今年やり残したことを片づける日”と勝手に決めている。経営者にとって一年は長いようで短い。積み残しはないか、約束したことを果たし切ったか、胸に手を当ててみる。

赤穂浪士ほどの覚悟は要らぬが、せめて「今日だけは本気で一点突破」と腹を括りたい。やり切るという行為には、人を清める力がある。

そして15日である。地域によって差はあるが、この日は“新年を連れてくる神様=年神様”をお迎えする準備を始める日とされる。

門松に使う松を切りに行ったり、家中を清める煤払いをしたり、昔の人は実に几帳面であった。私はこれを「経営の煤払い」と読み替えている。

今年一年を総括し、来年の抱負や目標の“方向性だけでも”整える日。国が来年度予算を年内に決めるように、企業もちょうどこの時期が発想の転換点になる。個人もそうすべきと考える。

現代の我々は、年末行事をどこか「風習」と片づけがちだ。しかし、歳時記はもともと生活のリズムを整え、心に区切りをつけるための知恵でもあった。

火の用心は危機管理、討ち入りは覚悟、煤払いは棚卸し。すべて経営の基礎そのものである。

12月中旬は、走り回るだけではもったいない。火急を防ぎ、やり残しを片づけ、心の埃を払うこの三つを静かに淡々とやるだけで、年末の見え方はガラリと変わる。

忘年会も良い。ケーキも良い。だが、少しだけ立ち止まり、ふっと息を整えてみる。そうすれば、年神様も「この家(会社)は準備万端だ」と微笑みながら訪れてくれる……かもしれない
Goto

コメント